発想が予算性の公務員的な人たち

まあお口直しということで、久しぶりに会社経営と商いカテゴリに投稿してみましょう。「発想が予算性の公務員的な人たち」という感じで、予算性の組織と同じような感覚でいる人達への警鈴的な感じで、経済の基本的な仕組みがあまりよくわかっていない人たちについて書いていきます。

よく「もっと平等に」みたいなことを言う人がいますが、そういう人たちの言いたいこともわかるにはわかるのですが、根本的なところを見落としている人が数多くいます。

それは、その人達の中では、「収益は一定で、あとはどう分配するかの問題だ」と本気で思っているという点です。

以前、「われわれの愚弄さに対するわれわれの要求権」で、バイトしてはいけないダメなコンビニの見分け方みたいな感じで書いたことがあるのですが、ケチなオーナーは「トイレの手を乾かす機械の電源を抜いている」ということがあります。

で、これは経費節減目的なのですが、その手前段階として、先ほどのような前提を持っています。

この店に来る客の数や売上は一定である

そしてこうした前提があるからこそ、あとはどう経費を削るかということを考えていくことになります。

つまり発想が予算性の公務員的であるということです「実際家たち」で触れましたね。

といっても、公務員の分野でも「ただ使う」ということではなくて、税収の最大化を目的として行われるようなこともありますから一概には言えませんが、基本的な構造としては、「予算は決まっていて、あとはどう使うか」という消費的な目線が強い傾向にある例えとして考えてください。

目に見えないことを達成目標にする場合

さて、ところで大学などでは「国際交流」などに変に価値を置いている場合があります。

しかし僕から言わせると、そんな国際交流、異文化コミュニケーションは、それほど評価するようなものではありません。

北海道と沖縄の人が、東京の喫茶店に集い、それぞれ方言を使わず、たどたどしい標準語で、雪が積もりすぎる地域での生き方と、雪が降らない地域での生き方を語っている程度のものだと思っています。

それ自体に意味がないとか価値がないとは思いませんが、世間で重視されているほどのものではないということです。

で、学校などではそうした「教育目標の達成」のようなものがあり、それは数値に表れるものではありません。

それでも、学生本人にとっては、何某かの良い経験にはなります。

そこで、考えてみたいのが予算の使い方です。

予算を使って、達成すべきとしている目標が、こうした数値に表れないものであると、一応傍目から見ればただの消費です。

そして、こうして収益を意識しなくていいような分野で公共性のある分野なら、それは公務員の仕事です。

ですから行政の場合はそれほど問題ではありません。

と話が少しそれてしまいました。

さて、問題があるとすれば、予算消化と同じような感覚で、経営をしている人たちです。

予算消化と同じように、収益は一定で、自分たちは表面上の作業だけしていればいいのだ、と思っている人たちです。

何某かの制限を相手に課しても、収益は変わらないだろう、と思っている人たちです。

収益は一定だと錯覚する人たち

先ほど少し触れたように、店舗などでやたらとケチくさい人は、「この店に来る客の数、そして売上は特に変わらない」と本気で思い込んでいるフシがあります。

しかしながら、特に客単価や商品単価が低いお店ほど、客側も結構シビアです。

「ケチくさい」

というところに結構敏感だったりします。

「客の回転数が上がるだろう」と、禁煙にする飲食店を考えてみましょう。

それまでの喫煙者の客は、その店の居心地が悪くなり避けるようになっていくでしょう。

逆に、思いっきり客層を変えるつもりでする分には、戦略として構いませんが、単純に「禁煙にすれば客席の回転率が上がり、もっと売上が増える」と考えて実施してしまった場合には、喫煙者の客のことなど頭に無いということになり、そうした客を失っていくということに気付けません。

サービスの本質は、飲食物を提供することだと考えています。

それも本質の一部ですが、客はただ空腹を満たしたり、少し美味しいものを食べることだけが目的ではないはずです。

ホテルであれば、ただ寝に来ているだけではありません。それならばカプセルホテルか、いいところ安価なビジネスホテルに行っているはずです。

で、どうしてそんなことになるのかというと、現状の収益は一定、客の入りは一定だと考えているからです。

しかし現実にお店などではそんなことはまったくなく、店舗のサービス内容以外の非言語的要素も客の入りには大きく影響を与えていることがよくあります。

スタッフの人柄が好きで来店する客もいる

例えば、家から200メートル離れたところと、250メートル離れたところ、それぞれにコンビニがあるとしましょう。

家から近い方のコンビニの店員さんはみんな怒り面で無愛想、片や少し離れている方は、自分のタイプの異性で愛想もいい店員さんばかり、さて、一般的にはどちらのコンビニに行くでしょうか?

僕自身は特にないのですが、女の子が好きなおじさんであれば、かわいくて愛想のいい女の子の店員さんがいるようなお店に行くこともあるでしょう。若くてキラキラした男の子が好きなおばさんであれば、そうした人がいるお店に行くでしょう。

で、そうした異性の好みの問題はひとまず置いておいて、スタッフの人柄が好きで来店しているという人も結構いるはずです。

店員さんの仕事は品出しやレジ打ちなのかもしれませんが、そうした作業をこなすだけが商いではないはずです。

ひとまず共通して、何となく疲れ気味で無愛想か、元気よく愛想が良いか、どちらがいいかと言えばもちろん後者です。

「元気の押し売り」がキツイという人もいますが、それでも絶対数的には元気で愛想がいいほうが良いに決まっています。

同じ「いらっしゃいませ」でも言語としては一緒ですが、その声質という非言語的な部分では大差があります。

で、「来る客の数は一緒、売上も変わらない、だから経費を削るんだ」と思っている人は、こういうことには気付いていません。

品出し、レジ打ちという作業、そうした業務内容を仕事だと思い、それが商いなのだと思い込んでいます。

別に経費をかけなくてもできるようなことをすらやりません。

むしろ、「トイレの手を乾かす機械の電源を抜く」というようなことばかり考えます。

なぜなら、自分の仕事はレジ打ちで、何をしても客の数は変わらないと考えているからです。

これは、予算を消化するだけの公務員的発想です。制限を設けても収益は変わらないようなところと同じような考え方です。

もらえる給料は一緒だから、後はどれだけ自分の手間をなくすか、ということに意識が向きやすい職業と同じような発想で客商売をしているのです。

例えば、大学でバイク通学禁止ということにしても、入学志願者はおそらくそれほど変わりません。JRが灰皿を撤去しても利用者はそれほど変わらないでしょう。

大学の受付が無愛想でも、入学志願者は特に変わらず、区役所の窓口が無愛想でも、住民票の発行枚数は変わらないはずです。

しかしお店の場合はそうではありません。

客に与えた少しずつのストレスが、売上に影響を及ぼしているということを肝に銘じましょう。


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