環境の選択

威厳を保って沈黙することもできず、高級なことを打ち明けることもできないので、われわれの不平や要求やわれわれの窮境全体の話などを知らせるより外には道のないような環境で生活することは避けた方がよい。その際われわれは自分で不満を覚え、この環境に不満を感じる。 曙光 364 前半

よく「この環境からは逃れられない」という類のことをいう人がいますが、ほとんどの場合どころか、すべての場合においてどんな環境からも脱却することができます。

本当は環境を選択する自由はいつどこにでもあります。

その制限は、どこから来るのでしょうか?

すごく浅いところで言えば、ある誘いをして、「その日は用事があるから無理です」と断られ、フタを開けてみるとその用事は「髪の毛を切りに行く」という代替日でも可能な大したことのない用事だというケースを考えてみましょう。

「用事がある」という言葉はロクでもない

ここで一つ言えることは「用事がある」という言葉はロクでもないということです。

「用事がある」という言葉は、どこか秘密主義的に優越感を持ちながら、相手を軽視しているというフシがあります。

これはくだらないような例ですが、この手のことは大小問わずたくさん起こっています。

○○だから

大人になると「○○だから」と言われれば、それ以上追求することはほとんどありません。

「そうですか」

で、おしまいです。

「そうですか」で対応

ただし、ここで一つ注意しなければならないのが、相手の「○○だから」にはすべて「そうですか」で対応しなければなりません。

髪を切りに行くからといって「用事がある」と断ってくる人に、「○○だから、お願い」と言われても、「そうですか」といって、その場を去らねばなりません。

そんな人は自分の都合しか考えていないのですから、関わる必要がありません。

相手には相手の環境の選択権があります。

そして自分にもその選択権があります。

誰かの都合に合わせているケース

だからこそ、相手に合わせる必要はありません。相手が自分の「用事」を優先したように、自分の都合を再優先してください。

そう考えると、どんな環境でも、そこから逃れられないと思い込んでいる場合は、「誰かの都合」に合わせているケースがほとんどです。

「親の介護が…」

本当でしょうか?

親の介護は、親自身の問題です。

例えばお金が足りないとしても、何十年の間、別のことに浪費してきた末路です。責任はその人自身にあります。

そのことを加味して考えなければなりません。ましてそのことを理由に他人に何かをお願いしたりすることは、おかしな構造です。

自分の勝手で、自分の人生を選択したはず

昔、「オレには子供がいるから、この場はおごってくれ」と厚かましいことを言われたことがあります。

そんなことは知りません。

自分の勝手で、自分の人生を選択したはずです。そのツケを他人に押し付けることはおかしなはずです。

「○○だから」

そんな制限のほとんどはウソです。

もっともらしい言い訳を並べて、何か今の環境から抜け出す際に生じるストレスを回避するために自己説得しているに過ぎません。

自己説得している限り、自由はどこにもありません。

しかしその自由を奪っている檻は、その人の中にしかないというのが本当のところです。

環境の選択 曙光 364


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