理解者

久しぶりにこのカテゴリテーマについて触れることにします。

先日、社長仲間の忘年会に参加した時に、その会社の従業員さんとお話すると「なんかスクールカウンセラーみたいですね」と言われてしまいました。

特のそのようには意識はしていなかったのですが、結局そんな印象を与えてしまうのでしょうか。知らぬ間に心の奥を抉(えぐ)ることが多いようで、昨年一年間に大の大人を十人ほど泣かせてしまいました。

責めて泣かせたというわけではありません。心の奥底に眠っているもやもやを抉り出して直視していただいただけです。

見ないからこそ奥底でグルグルしているエネルギーが、たまに表面に出てきて苦しんでいるのだから、まずは確認して頂いて、「何だそれだけか」と思っていただく、という事が多いです。相手は40代や50代でも号泣されます。泣いている姿を見て優越感的に喜んでいるわけではありません。それくらい感情を感じきっていただくほうが結果は確実で早いですから、ほっとしています。

今回は、このカウンセラーというものと、それよりもすごかったおばあさんのお話について触れていきましょう。

対カウンセラーというシチュエーション

昔から思うのですが、心理テスト的なものや、カウンセリングという「定義付け」がある場合と、自然な会話というものは全然違います。誰でもわかる話です。

そこで疑問なのが、医療機関などで、たとえば林檎の木を描かせるというテストを行った場合、自宅で勝手に絵を描く場合と全然心理状況が違うのに何がどうわかるのか、という点です。

自宅で絵を描く場合は、ありのままの表現の可能性が断然高いですが、たとえば診察室などで「描け」などと言われると、「この結果で何かを分析しようとしている」ということがすぐに頭をよぎります。そのような状況で何かを描いたとしても、そのままの心理状態が表れるとは限りません。

それも見越しているとは思いますが、近年ではインターネットがこれだけ普及しています。その種類のテストの結果の解釈もすぐに調べることができるでしょう。そのテストの意味をわかっていながら、どの回答をすればどのように解釈されるかを被験者が「知っていて」意図的に操縦することもできます。

明日にはテストされるとわかっていたら、「知られたくない」という気持ちが働いて、先に答えを見てしまいます。

そんなテストに何か意味があるのか疑問です。

うつが「治りつつもない」という予測

しかもある程度期間が経過すれば、また同じ絵を描かせようとする医者もいるということは知っています。そんなことをすれば、前と同じ絵を描いたら「治りつつもない」ということになるので、少し違ったように描こう、などと思うでしょう。

このテストで何かが決まってしまう、ということになればそれが圧力になります。特にこれは無償で行われていることではありません。

「治りつつもないということは、またお金がかかる」という圧力が、治りをさらに遅らせています。こういうことは意味が無いどころか治療とは逆行した流れです。意味のないテストで、自分の仕事の出来を客負担の有料で確認しているだけですから、患者はたまったものではありません。

このような具合で、カウンセラーによるカウンセリングという設定で、話をしても「この人は仕事だからこういう対応をしているんだ」と思ってしまいます。そして「仕事の結果を残すために自分を騙そうとしている」という心理も働きます。カウンセリングを受けている人からはお金をもらっていなくても、学校や会社からもらっているのだから当然です。仕事の肩書をもってやってしまうと、こういうことが起こりえます。

「自分もうつを経験した」という自己開示

「自分もうつを経験した」と話をして、自己開示のようなことをしても、それが仮に本当だったとしても、「この人は教科書でこういうことを言うように教えられたんだ」と、本当のことでも「作り話の演技」のように感じます。「その演技すらばれないように訓練されている」とまで思われては、その疑いを晴らすのは容易ではありません。

「何かを分析して、自分の家族に何かをバラすかもしれない」という気持ちや、「もっと治療が必要だと断定して、有料カウンセリングをずっと受けさせるか、医者を紹介して紹介料をもらおうとしている」などと思います。相手はお金をもらってやっているのだから当然そういうことも頭に浮かびます。

そういうことも想像できないのなら、人の心を扱うようなことをしてはいけません。しかしながら、そういう肩書や設定がないと出来ない仕組みになっています。

それはこういうことを想像できない人たちが仕切っているからでしょう。学校や資格ビジネスとしてビジネス化してしまっている以上、どうにもできません。そして、肩書や資格がないと、周りの人たちから仕事がもらえません。

仕事をもらったからには、仕事として「カウンセリング」という設定を使わざるを得ません。しかしながらそんなことをしていては先に掲げたような疑心暗鬼が生じます。結果的に本末転倒になります。

医療費というプレッシャー

さらに医療費の自己負担額も異常に高かったりします。その医療費の負担が、さらに心にプレッシャーを与えているということに全然気づいていません。

早く治さなければどんどんお金がなくなっていく、もしくは家族に迷惑がかかる、というプレッシャーがかかります。

しかも「仕事をやめてください」と平気で言いますから、「仕事がなくなるのにどうやってお金を捻出するのだ?」、と思ってしまいます。

相手は「報酬をもらうのは当たり前だ」くらいにしか思っていませんから、しばらく薬をもらうくらいのビジネスライクな付き合いで十分だと思います。

特に普段の生活のことについて注意点などを伝えることもなく、薬の効き目くらいしか頭にない唯物論者の場合は気をつけたほうがいいでしょう。

地方によっては自治体がある程度医療費を負担してくれたりするそうですが、そうした制度を利用することで自分が「異常者」になったように感じてしまいます。

しかしながらビジネスライクに考えていきましょう。

これは難しい問題です。仮に善良な医者がいたとして、「お金がかかるから、受診回数を減らしましょう」とはなかなか言えません。

少なからず善良な精神科医もいると思いますから、一つのところだけでなくある程度いろいろまわったほうがいいかもしれません。

しかしながら、他をまわるということは、元の医者に戻るときに「一度裏切りかけた」という罪悪感が生じます。それで僻む医者も実際にいますから困りモノです。「他の医者にも聞いてみてください」くらいの軽い感覚を与えることができる人がいればその人は信頼に値するかも知れません。

おばあさんとのたった20分

そのようなわけで、精神科医もカウンセラーもあてになりません。

うつの症状が出ている時は、疑心暗鬼に陥りやすいですから、特にあてにならないどころか、下手な相手なら逆効果の可能性もあります。

これからは、少し私事について触れていきます。

はっきりした時期は覚えていませんが、おそらく10年ほど前になります。その頃は、まだあまり世に認知されていなかったパニック障害という病と軽いうつを併発しながら、十二指腸潰瘍を患っていました。さらに追い打ちを掛けるように抵抗力の落ちた身体は、帯状疱疹を呼び起こしました。

心身ともにズタボロなわけですが、帯状疱疹については前に一度経験しているものの、前の医者は信用できなかったので、友人に教えてもらった皮膚科に行くことにしました。

その皮膚科に行った時に看護師か受付かわかりませんが、その人が非常に気がきつくて、何故かいきなり「早くしてください」とキレられました。

医療機関ですらこの程度なので、絶望した僕は、受付を済ませたにも関わらず、外に出て、病院のカラーコーンを蹴り飛ばし、駐輪場にあった自転車をなぎ倒してその場を去りました。そのようなシーンを覚えてはいますが、あまり自分で何をやっているのかわからないような感覚でした。

頭がクラクラしていたので、そのままバイクを押して帰っている途中、ちょうど踏切までやってきました。

飛び込もうと思いながらもそんな気力もないくらいに疲れ果てていました。

そしてバイクのスタンドを立てて、その場にうずくまり、激しい動悸がやってきて意識は朦朧としていました。

それからしばらくして、僕を呼ぶ声がしました。

目を開けるとおばあさんが震えながら「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びかけています。

確か当時金髪でしたから、変に声をかけてはまずいオーラが出ていたのでしょう。他の通行人はすべて見て見ぬふりをしていたように思います。

どうせ動悸は30分以内程度で収まります。いつもより激しいものの、いつものことなので、「大丈夫です。いつものことですから」と言いました。

するとおばあさんは激昂して「大丈夫なわけがない、こっちに来なさい!」と僕の手を引くのでした。

踏切からしばらく歩いたところにおばあさんの家がありました。

「気がしっかりするまで何時間でもここにいなさい。そのうち息子が帰ってくるけど気にしなくていいから」と僕を家に案内してくれました。

さすがに中に入るのは少し気が引けた僕は、「外の空気が吸いたいのでここでいいですか?」と玄関に座り込みました。

すると懸命にお茶を探している姿が目に止まりました。

「ごめんね。ちょうど切れてて、今沸かすからね」

「よかったら水だけもらえませんか?」

そう言ってコップ一杯の水をもらいました。

飲み干すと、それまでに経験したことのないような歓喜のような感情が押し寄せてきました。その時数分間はおそらく泣きじゃくっていたと思いますが、あまりよく覚えていません。

あまりよく覚えていないのですが、おばあさんに背中をさすられていることに気づいた頃に、意識がはっきりしてきました。

すると息子さんが帰ってきました。

「知り合い?」

「そうやで」

「ふーん」

といって息子さんは家の中に入って行きました。

そして僕は、ゆっくり立ち上がって、お礼をしてゆっくりバイクを押しながら歩いて帰りました。

僕が見えなくなるまでおばあさんは手を振っていました。

その時、「こんな人も世の中にいるのだから、せめてこんな人のためにだけでも何かやろう、いつか元気になったらこんな人達のためだけでいいから」、と思いながら帰りました。

踏切に飛び込む勇気も気力もありませんでしたが、

「今からの人生はオマケだと思って、あのおばあさんのように生きよう」

そんなことを思いながら。


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