無邪気の危険

無邪気な人間はあらゆる点において犠牲になる。彼らはその無知のために、過度と過度を区別したり、時期を外さずに自分自身に対して用心したりすることができないからである。そこで無邪気な、すなわち無知な若い夫人は、愛情を頻繁に享楽することに慣れ、その夫が病気になったり早く衰えてしまったりする後年には、享楽にひどく不自由するのである。 曙光 321

無邪気といっても、「こっそりくすねてやろう」というような、邪な感じが無いだけで欲に満ちている場合がよくあります。しかしあまりその欲は社会では問題視されません。無思慮、無分別、無知なだけなのに無邪気だと扱われることがよくあります。

「笑っていれば許されるのか」

というようなことです。

「傷つけるつもりはないんだ」

と言いながら、ニコニコしながらこちらを殴ってくるのはいいのでしょうか。もちろん本人はこちらを傷つける心づもりは持っていません。

「楽しいんだ」

と言いながら、ボコボコに顔面を殴られたらどうでしょうか。

それでも相手は無邪気だからと、こちらは笑っていられるでしょうか。

そんなことはありません。殴り返す必要はありませんが、キレてもいいはずです。もしくは逃げることです。説得が通じないのであれば、酔っぱらいのようなものです。説得してみて、通じないならば逃げることです。

しかしこういうことは結構野放しにされています。

相手が子供だからと許している人が結構いますが、僕は許しません。

怒っているわけではないのですが、笑って許すこともしません。

無思慮、無分別、無知なだけですから、相手にしてはいけません。相手に付き合う必要はありません。

「キャー」という子供の奇声

先日も、我が家の前のオープンハウスを見に来ている子連れの親子が家の前で不動産屋と話していました。

その間、小さい子供が奇声を発しだしました。

「キャー」

と、きゃーきゃー騒ぎ出しました。

「きゃあん」のような声です。

それもものすごい高周波です。金切り声といったところでしょうか。

A うるさい

自分を可愛いと思って、不動産屋に意識が向いた親の関心でも惹くつもりでしょう。

窓を開けてキレておきました。

「家でやれ、公園でやれ、カラオケ屋にでも行ってこい」

ということです。

問題は子供というより、それをなんとも思っていない親のほうです。いや、子供にも問題があります。獰猛な渇愛者といったところです。

住宅街で騒ぐなということです。大声で話す、騒ぐというのでも問題視されそうなものを、「キャー」というような高音の奇声を発するというのは、より一層問題です。

それをなんとも思っていない、無思慮、無分別、無知です。

子供は無邪気だから許されるとでも思っているのでしょう。

それがなに?

許さないよ。

こちらが場所を移すというのはおかしいので、キレておきました。諍いを恐れての受忍などありえません。

おそらく彼らはオープンハウスの物件を買うことはないでしょう。

そういうわけで人里に居ると煩いが増えます。

自分もそんな感じだったのか、という疑問は解決済みです。

というより、同級生を見渡してもそんな感じで叫ぶ人はいなかったように記憶しています。

キレる偏屈のおっさんなどが減ったからでしょうか。

X JAPANでも歌ってこい

不思議なことでもなんでもないのですが、休日診療に行った時に苦しくて泣いている幼子がいましたが、その手の叫び声はなんとも思いません。ある意味で必要な音だからです。

無邪気だからと欲にまみれた渇愛の「キャー」に含まれる、あの自己愛のような、また愛情を求めるような、快楽を満喫するような声に寒気がする、ということです。

声を出すことを楽しんでいる、じゃあカラオケ屋にでも行ってこい、ということです。

どうせ叫ぶならこのように叫んでこい(動画が削除されたようです)

そんなに高音域で叫びたいならX JAPANでも歌ってこい、ということです。

声が変わっておらず、まだX JAPANの音域も対応できるような年齢なのだから今のうちに歌ってこいということです。

スーパー銭湯で騒ぐ子供も同じですね。

おそらくそういう人がいる所にはもう行かないでしょう。

自分では行かないのですが、こちらに来られてはたまりません。

その時は容赦しないということです。

「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

「怨憎会苦」嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ

無邪気の危険 曙光 321

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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