無政府主義者の産物としての国家

馴らしつけられた人々の国には、依然として馴らしつけられない残余の人々が存外いるものである。 曙光 184 序

たまに言っていることがありますが、世の中の普通が正しいわけでもなく、常識が正しいわけでもなく、多数決が正しいわけでもないのですが、逆に普通でないことが正しいというわけでもなく、常識から逸脱していることが正しいわけでもなく、少数派だから正しいというわけでもありません。

そうしたことは根本的に基準となりえず、いわばナンセンスであり、本来はそもそもの目線がずれているのですが、なんせ他人への説得材料として盲目的に採用されていることがよくあります。

そして、そうした基準が正しいのだとしてしまうこと、そして、それを周りが認めてしまうことで「本当に正しいもの」として取り扱われてしまうことに問題があります。

時代を切り開いていくような人は概してマイノリティです。

しかしマイノリティだからといって切り開いていける人であるというわけではありません。

褌(ふんどし)一丁で、泥の中に飛び込んで、「自然との融合」とし、身体表現としてのアートだとしているような、ズレている人がわかりやすい例でしょう。

まあ今回は、とりあえず、ベンチャー企業などを代表例として「最年少上場」とか「売上100億達成」という目標のようなものが、いかにズレているか、ということについてでも書いていきましょう。

体育会系上がりのベンチャー企業が好きな「私たちのビジョン」

企業にはビジョンがあったほうがいいということがコンサルなどを通じて広く知れ渡り、よくわからない胡散臭いポンコツコンサルの「経営理念を考えます」で数十万円というようなケースも出てきています(胡散臭いコンサルの次はポンコツなコンサル)。

本来コンサルタントたるもの、本当はもっと評価されるべき職人なのですが、どうしても変なコンサルが多いため、胡散臭い職業として認知されているようです。

で、なぜビジョンがいいのかというと、先が見えないくらいの方がやる気が出てくるという点と、限界や制限がなく自分たちの方向性がつかめるということ、そして、周りの人たちもそれに感化されていくといういろいろな点が考えられます。

そこで、体育会系上がりの「もっとモテたい」というタイプのベンチャー企業なんかでは、こうしたビジョンの設定の際に、「最年少上場」とか「売上100億達成」というものを設定したがります。

傍から見て考えてみよう

しかし、傍から見て考えてみてください。

「そんなん知らんがな」

の一言です。

今回あえて「体育会系」と言ったのは、別に僕が体育会系が嫌いだからというわけでもなく、スポーツをしてきた人たちが掲げる目標設定として、概ね「何かの大会でどれくらいの成績を収める」と言うものが多いからです。

本当のプロのスポーツ選手なら、おそらくもっと違う設定をしていると思いますが、学校の部活程度の人たちの場合は、こうした目標になりがちです。

客観的に誰かに「評価」されることをベースにしている

で、そうした目標の設定、ビジョンの持ち方に慣れた上で、ビジネス上のビジョンを設定しようとする時、同じようなやり方で、「客観的に誰かに評価されること」をベースにしてしまいます。

ということで、最年少上場とか、創業何年で売上100億とか、そういうタイプの目標設定になってしまうのです。

しかし、部外者から見れば、

「あんたらが最年少上場したとして、それが何?」

と思っていると思います。

でも、当の本人たちは「そんな『最年少上場』を成し遂げた、すごい人物と早い段階で接点を持っていたなんて、自慢できるでしょう?」

というような事を思っていたりします。

でも、周りから見れば、

「別にそんなんいらんよ」

と思っているはずです。

だからそんなビジョンはビジョンにならないのです。

応援してくれるのは身内の人くらいでしょう。

最年少上場とか売上実績などは、人に吹聴するようなことでもありませんし、社内で掲げるオマケくらいでいいのではないでしょうか。

無政府主義者の産物としての国家 曙光 184


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