無意味こそすべて 改

「俺たちのやっていることには意味がある!」

そう思うのは勝手で、勝手に盛り上がっていただく分には問題ありません。

ところで、そもそも「意味」とはなんなのでしょうか。

いみ【意味】 大辞林 第三版より
( 名 ) スル

  1. 言葉・記号などで表現され,また理解される一定の内容。 「単語の-」 「この文は-が通らない」

  2. ある表現・作品・行為にこめられた内容・意図・理由・目的・気持ちなど。 「 -もなく笑う」 「彼が怒った-がわからない」 「感謝の-で贈る」

  3. 物事がある脈絡の中でもつ価値。重要性。意義。 「ここであきらめては努力してきた-がない」 「歴史的-」

  4. 表現によって暗示的にほのめかされる深い味わい。含蓄。 「言外の-」

  5. ある表現・行為・物事などのもつ内容を表すこと。 「赤字はマイナスを-する」

この中では「3」を「意味」するのでしょうか。

いっそ「意味」から「意」を取って、

「俺たちのやっていることにはがある!」

と言っていただければ、なんだかすんなり理解できるような気がします。

そうなると、「俺たちがやってきたことは意味がなかったのか」という局面においても、

「俺たちがやってきたことは味がなかったのか」と、味のなさを認めることになり、何事も素直に諦められるのではないでしょうか。

意味がある/ない、の次元に立つと、色々な言い訳ばかりが頭に浮かびます。「いや、意味はあった」「こういうふうに捉えると意味はある」、結局そんなことになってしまいます。

誰に主張してるかと考えてみても、結局つまるところ自己説得であって、なんとかやりきれない気持ちを、そのエネルギーをどこかにやってしまいたい、というのが本音ではないでしょうか。

ならいっそ「いや、味がなかったね」ということにしてしまえば、「知らぬ間に人の舌ばかり気にして自分の味を追求してこなかったからなぁ」と、別の視点が思い浮かぶかもしれません。

「無意味」な授業

高校の時は理系のクラスにいたのですが、数学の先生が一番初めの授業で「何のための数学?」みたいな授業をしてくれました。

義務教育ではありませんが、いちおう義務教育的な「ナンクセ」が始まるのかと思いきや、真逆のことを言い始めました。

「数学で食えるのは、我々数学教師と、塾の先生、大学の教授、それに一部の専門的職業の人だけです」

いきなり「義務教育的」な「説法」が始まるのかと思い、寝る体勢に入っていた理系男子たちは、一斉に起き上がります。

「頭の体操や処理速度を上げる、いろんな考え方を得る、こういったもっともらしい言い訳をする人もいますが、たいていは嘘です。もっといい頭の体操や学問の分野はたくさんあります」

「みなさんが生きていく上で、必要になる局面はおそらくただ一回、受験の時くらいです。その数十分間のために皆さんは、これから一年間、数学3だけで週5時間ほど拘束されます。数学Cを取ってしまったみなさんは、さらに2時間追加されます。年間でどれだけ数学に時間を拘束されるのでしょうか」

この人は何なんだ?みんなそんな目で見ていました。

「実社会で実際につかえるのは算数です。数学ではありません。そんな人生に役立たないものをこれからみなさんと一緒に学んでいくことになります」

僕のような精神のねじ曲がった生徒も生徒なら、先生も先生です。

「そしてここは高校です。予備校ではありません。受験のために勉強は教えません。大学の踏み台ではありません。ここは大学の予備校ではなく、ひとつの高校です!」

そういって下ネタの授業が始まりました。

「おいど」の語源

黒板にいきなり書き出しました。

共学でしたが、この授業では男しかいませんでした。

やりたい放題です。

それからも合間合間に下ネタも入りましたが、雑談ながらもきちんと数学的な

0.9999… = 1

フィボナッチ数列の黄金比への収束

なども教えるのでした。

ただでさえ捻じ曲がった中学生だったのに、高校に入ってこんな先生に囲まれて、さらに捻じ曲がったのは言うまでもありません。


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