淋しくならない努力

僕には淋しいという感情がありません。

昔はそうでもなかったのですが、相当鈍感になったのか、慣れてしまったのか、もう数年以上感じていません。

たまに、「あのまずいカレーどんな味だったかな?」と気になって、まずいと分かりつつももう一回食べてしまうような感覚で、「どんな感じだったかな?」と、もう一度味わおうとしても、もう味わうことはできません。

いまでは慣れたというより、本当にわからなくなってしまいました。

過去の経験からの想像で、こんな感じだったかな、という程度です。

本当になくなってしまいました。

こんな話をほかの人にすると、「10年間誰にも会わなくても大丈夫ですか?」と聞かれることがあります。

別になんとも思わないというのが本音です。

「大丈夫です」なんていうと、「本当は気がかりだが無理をしている」とでも思われそうなので、返答に困るのですが、なんとも思いません。

一方で、「人が嫌いなので、絡みたくない」という人がいます。

それはそれで苦しいのではないでしょうか。

少なくとも僕は、「人といること」にも、「人といないこと」にも苦しみを感じません。

どちらを拒絶しているわけでもありません。

無刺激

人は無刺激でいると発狂してしまうというようなことを聞いたことがあります。

だから、出稼ぎに来て一人暮らしをしていて、仕事内容も特に人と絡まない、という人は、「独り言」が多い、と聞いたこともあります。

実際に完全な無刺激というのは実現すらできないので何とも言えないですが、確かに無刺激だと変になってしまうのかのしれません。

思考を意図的に止めることはできますが、放っておけばずっと回転し続けます。

新たな刺激がないと、ロクでもないことばかり考えるのでしょう。

デールカーネギーの「道は開ける」に書いてあったと思うのですが、うつの人への対処法です。

誰も相談に乗らない、そして仕事などを与えて、一人で考える時間を与えない、人を喜ばすことだけを考える、というような内容だったように思います。

多分、結構有効だと思います。

語弊がありそうですが、うだうだ相談してくる人は、時間が有り余ってる人が多いですからね。


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