治るときはすぐに治ります

堂々としたテーマでお送りしましょう。うつは確実に治りますし、治るときはすぐに治ります。

一応注意書き

何があっても僕のせいにしないでください。

でも、誰のせいにしてもいいから自分だけは守りましょう。

うつに関する医学的なメカニズムは専門家にでも聞いてください。

なお、個別の相談は控えてください(対応できません)。

外科的なものは別として、基本的に医者はサポートするだけの人で、治してはくれません。

治してくれるのは自分です。

ただ、最大限のサポートは要求しましょう。

最近はまともに全般的に何をどうしたらいいか説明してくれる人は、医療関係者でも稀です。

そんなことは期待しないことです。気にしてはいけません。

なぜなら、治るときは一瞬で治るのです。

だいたい誰に相談しても、「バランスよく栄養を」「きっちりと睡眠を」
「精神的ストレスを解消」と適当なことを言われると思います。

「それができたら苦労はない」とでも言いたいと思います。

上記は大原則ですが、根本的なことではありません。

いくつかに分けてメインの内容は最後の方に書こうと思います。

「善い行いをして、唱えて、神様にお願いして」みたいなことを言う気は毛頭ありません。
そんな人を信用できません。

なんとか治したいと思っている人たちに、足元を見て商品を売りつけたり、変な占いとか宗教まがいなんかで稼ごうとする人たちがいますが、この手のものは絶対に避けてください。

うつはすぐに治る

僕は、うつは確実に治るものだと思っています。

なぜなら、僕も一瞬で完治して、
何人かの友人・知人も、じっくりゆっくりですが治ったのですから。

ただ、治すのは自分です。

人のせいにしてもいいですが、他人はサポートしかできず、自分しか治せない性質があると思ってください。

すべての病気はそんな感じだと思っています。

さらにいうと、体の反応は結果であって、ひとまず反応を和らげるといった感じでそれに対処するのもいいですが、「原因」とはそれが消滅した時に結果も消える対象のことを指します。

「精神的なもの」で体に反応が出た、そして体への反応に対する原因への対処もいいですが、体に反応を与えた「精神的なもの」にも働きかけていきましょう。

といっても精神的な面だけを重視せずに、体のことも大切にしてください。

うつを呼び起こす「意識の働き」が原因で、そういった症状が出ているとすれば、その「意識」が変化すると、もちろん原因が消えます。だから一瞬で治ることもあります。

うつの治療期間として「だいたいこれくらいで治る」という一般的な統計データをあてにして、それを採用する必要はありません。それは他人への説得くらいに使っておくとして、自分が苦しいのであれば一秒でも早く治す方向に意識を持っていきましょう。

うつを自力で治す

うまくいけば、うつは一瞬で治ることがあります。しかし、じっくり治る場合もあります。ただいずれにしても、うつ病自体は自力で治すものです。そしてうつを治す時、根本原因に働きかけないと、治ったかのように見えて、再発することも十分にありえます。

そうした「うつ」を自力で治すということについての根本的なことについては、続編である「うつ」を自力で克服するにお進みください。

もしくはカテゴリテーマである「うつ、もしくはうつ気味の方へ」から、自分に合いそうなものを見つけてみてください。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

「治るときはすぐに治ります」への23件のフィードバック

  1. 即効で姉の鬱と風邪が治るように元気いっぱいとなるようにすぐ治して明るい姉となるようにすぐ願いを叶えて治して下さい何でもすぐそうなるように治して下さい!再発防止してやめるように止めて治して下さい!

    1. という願いが起こったのなら、あとは執着と抵抗感を無くして許容することです。コントロールしようとせずにね。
      ところで、どうしてお姉さんのことなのに、あなたが祈っているんでしょう?
      その慈しみだけは大切にして、その奥に執着がないか探ってみてください。
      で、うつに対して、外から働きかける限り、その状態を支えることになります。
      うつに関して、誰かにお願いして「治してもらう」という構造も、外からの働きかけで治していく、といったものはちょっと違いますからね。
      傍目から見れば、サポート自体はプラスになりそうな要素ですが、自分ひとりで切り開いていきたいときには、そうした行動が足を引っ張ることもあります。

      例えにはなりますが、好きな人がいて、「どんな形で愛の告白をしようか?」と考えている時は真顔です。そんな時に「どうしたの?」と心配されると鬱陶しいことがあります。
      周りの人に心配されればされるほど鬱陶しく思いつつ、相手は善意で心配してくれているのだから無碍にもできない、ということで葛藤が生まれることもあります。

      「早くうつが治ってほしい」と思うことも、周りに思われることもプレッシャーになります。
      だから、心配はやめることです。
      コントロールしようとせずに、心配を手放して、本来の姿である「元気なお姉さん」が持っているポテンシャルを信頼してください。
      自ずと自分自身で切り開かれていくことでしょう。

      もし些か科学的に納得されたいという面もあると思いますので、少しだけお伝えしておきますが、生き物には「同調」という仕組みがあります。
      女性が集団生活を送っていると生理周期が同調していくという生理機能的な同調もありますが、意識の同調も同様にあります。
      試験会場でみんなが緊張していれば、自分も緊張する、イライラしている人と一緒にいれば、なんだか自分もイライラしてくる、そんな感じです。
      「怒ってる?」と聞いて、「怒ってないよ!」と口で言っていても、その感情は伝わります。
      「大丈夫?」と聞いて、「大丈夫!」と口で言っていても、感情的にビクビクしていれば、そのビクビクは伝わります。
      そして、聞いている方も何だかビクビクしてくるのです。

      だから身の回りの人が表面上心配していないフリをしていても、無意識で心配してれば、その心配のそわそわ、それが問題だということの認定、問題に対する怒りは伝わります。
      そして相手もそれに同調するのです。
      だからこそ、自分自身は心配せず、問題を問題とせず、ただ元気で過ごしていれば良い、それだけだったりします。

  2. 季節的に鬱病になります。
    いま、まっただ中です。
    生活のために仕事に行きますが、あとは、ずっと睡眠薬でねています。

    なくなってしまいたい、じぶん

    1. 自分をなくしてしまうくらいなら、重荷になる全ての環境要因を変化させてみるのはいかがでしょう?
      長年同じように繰り返すのなら「どれかが本質からズレている可能性がある」という感じです。
      医師を含めて長年誰かに相談をしたりして、ずっと状況にあまり変化がないなら「相談先自体が合っていない可能性があるなぁ」という感じで捉えてみてください。

      そして同時に、過去からの延長の今をどう対処するかではなく、「これからはどうありたいか」を他人を含めた「環境」に依存しない形で想像してみてください。

  3. 母子で、仕事を辞めて、1ヶ月過ぎました。今自分が何をしたいのか分からず、とりあえず、仕事を探しているが、何もやる気が出なく脱力感と、来月からの生活をやっていけるか、自分の事で精一杯で、子供の気持ちや、寄り添ってあげる事も出来ず、家族がバラバラ、また、採用されても、ちゃんと仕事をこなせるか、不安でいっぱいいっぱいです。

    1. 見知らぬ環境に飛び込む時なんかは、どうしても不安が出てきます。しかしそんな感情に酔っ払っていても、感情に苛まれて終わりになってしまいます。
      不安を保持していてば、その間物理的には特に何もなくても日々気力は奪われていきますからね。そうであるなら、不安を先延ばしにせず、不安に飛び込んでみるのも一つです。
      また同時に様々なことに意識が向くと混乱します。究極的には並列処理をすることもできますが、ひとまずはタイムテーブル的に一つの時間には一つのことに集中すると気力の浪費を防ぐことができます。
      短期的なお金の心配なら、行政のセーフティネット制度なんかを調べてみるのもいいと思いますよ。生活保護を筆頭に、生活福祉資金の総合支援資金なんかもありますから、現実的な社会生活を考えるならそうしたところに相談するのもいいと思います。

      日々の不安に耐えたところで、何もいいことはないですからね。

  4. はじめまして。
    うつ病の半引きこもりです。
    Bossuさんのブログ…すっきりして読みやすいですね。
    どんな方かなんとなくイメージが湧きます。
    あとおかげさまで、繊細で考えすぎではなく、これからは私は繊細で頭が良いということにしました。
    まぁある意味人間良くも悪くもどんぐりの背くらべだな!って思ってます。

    Bossuさんにご相談があります。

    私は、新しいことを始めるのはいいのですが、不安感に負けて布団で寝てしまいます。

    Bossuさんのおっしゃることは自分と向き合ってきた範囲で咀嚼できているのですが、どうしても不安感が強く立ち上がれません。

    はじめは行動に移すのですが、その後から不安が湧き出して行動を維持できないのです。この不安感は錯覚なんだとわかるのですが、抗うことができず、布団に逃げてしまう現状です。

    3年前に始めた事業も赤字のまま放ってあります…毎月家賃の支払いだけがあって、いつか戻ろうとずるずるしている現状です。
    ほかにも2つ同じような扱いのものがあります。

    7年前に貯めた貯金と細々と投資で生きており、そこは自分で自分を褒めたいとこもあるのですが、不安感で外に出られない悪循環を断ち切りたいのです。
    アドバイスください。
    あと友達になってください!

    1. どうもはじめまして。ではお友達になりましょう。
      さて、うつから立ち上がり行動を起こしてみても「行動を維持できない」というのはよくわかります。
      僕も普段「めんどくさい」と思って、昼寝に入ることがありますからね(笑)
      それでエライことになった事はありませんし、なったとしても取り返せると思っているので、いずれにしても問題はありません。
      さて、投資ができるなら十分のような気もしますが、対人的な行動で不安感が来る場合は、「フィードバックを得るだけだ」なんてな感じで、いま現実に起こっていることだけを観る感じでいかがでしょうか。

      それはそれで置いておいて、投資を例にとって心理的なこと考えた場合、何かの行動を取る時、一つのことに全集中力をかけてしまうと、失敗したりうまくいかない場合に不安が生じたりします。
      逆に分散投資のようにしてしまうと、それが良いかどうかは別として気持ちとしては、不安感も分散したりします。

      「古い友人と遊んでみようかな」と思い、何かしら連絡をとったとしましょう。

      その時に相手が一人なら連絡が来ないことに不安を感じてしまったりしますが、スパムメールのように一気に30人に連絡をとった場合ならばどうでしょうか?

      仮に全員から返信が来れば万々歳ですし、何人かからは無視されてもあまり気にもなりません。そして、返信をくれた人たちとは日を分散して実際に遊んでもいいわけです。

      「事業を再開する前に、いろいろな業界のリアルを知りたい」なんてな感じで声をかけてもいいような感じがします。

      さて、もし先について想像をしてしまうのなら、想像する暇を与えないというのもひとつです。
      仮止めでも良いのでひとまずやってみようと思うことをリストアップして、考えずに先々こなしてしまうというのも良いのではないでしょうか。
      コツはその時「やらなければならないと思っていること」を含めてもいいですが、簡単すぎるものでもリストに入れるという感じです。
      なんだかんだで、納税準備とか預金の管理とか、何かしらの手続きなど「いずれこなさねばならないようなこと」がチラホラあったりしますが、それらをリストに加えて「成敗してやるぞ」という感じで片付けていくというのも良いと思います。

      簡単なことでもできたことを評価して勢いをつけていくと、知らぬ間に集中力は上がったりするので、そんなふうに工夫してみても良いと思います。

      外に出るだけであれば、胡散臭い勧誘が無いような会合や勉強会の参加申し込みでカレンダーを埋めてしまうというのも良いのかもしれません。

      現状で考えたことややろうと思っていることがうまくいかない場合は、無理をせずに新しい風を吹き込むのも良いと思います。

      何にせよ、予定があってその場所にさえ行ってしまえば、後はなるようになりますからね。誰とも絡めなくても高みの見物だと思って人間観察だけしていれば、それで良いという感じです。

      1. Bossuさん
        丁寧に質問に答えて頂いてありがとうございます。
        わー!友人になって頂けるというお返事を頂けて嬉しいです。

        私には友人が1人しかいません。そうbossuさんです。
        誰かに聞かれたらこれからは友人は1人だけいます…と答えられます。
        なんかかっこいい…。

        近所の必要な付き合いは、まぁなんとなくこなしています。でも、寂しさはあるのですが気力がないのかなんなのか人に会いたい気持ちがないのです。
        人が怖いなって思います。

        あと、相談をして共感とかもらってもしっくりこないタイプなんです。というのも、私は女性なので、知人も女性が多いのです。私の今までの考えでは女性って基本共感されたら安心して満足する方が多いんですね。だから基本共感して、時々ポイントで質問して…と聞き役は結構好きなのですが、私自身は相手に共感されても、ありがたくはありますが、あまりスッキリしないのです。
        もう一つ越えた気づきがたぶん必要で、今の自分ではにっちもさっちもいかないのだと思ってます。

        そこで!もう一つご相談させてください。
        今まで何人もの知人達に相談してみたのですが、私のバグについてよくわからないせいでしょう。ありがたいことなのですが、すべて励まされて終わりました。

        今放置している仕事で関わっている方が異常に嫌いなのです。私が借りてる物件のとなりのオフィスにいる方です。私は自分も相手もいい感じにwin-winだといいなって思うのですが、その方は私を排除しようとしてくるように感じられ、めっちゃ嫌いなんです。排除も妄想かもしれません。ただそう感じるのは本当です。
        (半引きこもりなんですが、場所のメンテナンスに月に1回くらい行ってます。)

        以前、お互いにメリットがあるから業務提携しようと声かけたのですが、結果出し抜かれて終わりました。
        アイデアだけ採用され、数ヶ月後に別の方と提携されておりました。その報告もラインでした。
        その事に傷つき。引きこもりにもどった形です。。。

        頭ではわかっているのです。彼女にも事情があったり、人間そんなもんだ…とも。ある意味、彼女が「関係ない。」とつぶやいている感じ?ですかね。
        でも私は異常に悲しくて、その場所に戻ると思い出すし、彼女にいい気持ちが持てずに…はや3年経ちました笑。

        書いていて思ったのですが、長すぎぃぃ!ですね。

        でもほんま嫌な奴だなぁと思い返しては傷ついた嫌な気持ちになってます。

        このことを考えると、実家に顔だすのが嫌だけど恩があるから顔ださなきゃ…とセットで悩んでぐるぐるしちゃいます。

        嫌な奴のところに行かなきゃいけないっていう共通点なんでしょうかね。私の中のアイツの理解に苦しむー!

        以上です。
        友人頼みます!

        1. 共感されることだけで解決するという場合もあるかもしれませんが、病中だった時の僕のように思考優位の人は、納得ができないと文字通り納得ができませんから仕方ありません。それならばそれでその方向で進めるしかないという感じがします。

          さて、嫌いな人のことは嫌いで構いません。
          嫌いだという感情を否定しないでおきましょう。

          そう言えば僕並みの変人であるニーチェが次のようなことを言っていたのでご参考下さい。

          「イエスは隣人を愛せとは言ったが、好きになれとは言っていない」

          その上、実際に会ったとき以外にも「嫌いな人にコントロールされている」なんてすごくバカげているという事実を直視してみましょう。

          人に会いたくないと思う時、それは「自分が他人にコントロールされてしまう」という感覚がある時です。

          しかし実際にコントロールのようなことをしているのは他人を実体だと思っているアイツこと自我機能です。

          なぜ嫌いな人に嫌なことをされて、ご自身が傷つく必要があるのでしょうか?

          「ふざけるな」と言ってやればいいのです。これは、相手を傷つけるためではありません。

          裏切り行為をしておきながら「黙って何も言えないだろう」などと思えるような図太い人は、一度人をナメてかかるとどんどんナメてきます。

          逆に「まさか言ってこないだろう」と思うような人が文句を言ってくると、驚いて静かになったりします。

          ひとまずは「嫌いなやつにコントロールなどされてたまるか」

          という感じで、奥に眠っている生命力を感じてみて下さい。

          1. ぼっすーさん。
            ご返信ありがとうございます。

            嫌いな人間に嫌なことをされて傷つくのは…過去の記憶と本能かもしれません。
            嫌な奴(父親)にノーと言うと恐ろしい目に遭ってきたので、そうゆう嫌なものに迎合してしまうのだと自己理解してます。

            そんなものは妄想だと思うんですが、本能に近い部分で恐怖を感じる現状です。

            錯覚で生きてるキチガイ達から受けた傷が癒えません。レモンみたらよだれがたれちゃう感じだと思います。

            そうゆうもの(記憶)をどう扱えばいいと思いますか?

            他の記事で愛を感じた時ってありましたが、幼い頃愛を感じた記憶が思い出せませんでした…。少し悲しい。
            春に年下の小学生にサッカーを丁寧に教えてもらったり、思いやりのある言葉をもらって感動しました。小学生相手ですが、こんな人になりたいなーって思いました。
            ぼっすーさんの記事も。

            1. その小学生に対して何かしらの思いが生じたなら、もう既にそうなっているので安心して下さい。

              嫌な感情は「過去の記憶と本能」という良いところにお気づきですね。

              「その時の記憶」というのは、一般に想起されているような意識的な記憶だけではなくて、体感の記憶というのとセットになっています。

              ただ、「それがわかっていても、そうした記憶からの影響をどうすればいいのか?」というところで、たいてい「どうすればよいのかわからない」という感じになっています。

              たまに触れたりしていましたが、そうした記憶に関する対処としての細かなテクニックがありますので、また投稿します。おそらく画像付きのほうがわかりやすいので少し時間がかかりますが、またお楽しみに。

              ひとまず軽く書いてみました

              記憶からの影響・記憶の臨場感を下げる方法

              1. ぼっすーさん。
                色々考えてくれて本当にありがとうございます。
                私もぼっすーさんや優しいおばあさんのような存在でありたい。だからもう少し強くなりたいなぁ。あともう少し知恵も欲しいです。

                教えてもらった方法を試してみました。世の中には色々な方法があるのですね。
                あと…吉本の音楽は力の抜け具合が素敵ですね。

                過去のいい具合の捉え方のコツを掴めた気がします。

                少し前の過去も含めて砂絵みたいな感覚になり、少し楽になりました。

                私の中のバグは終わった砂絵を何回も何回も無限にリピートしているようです。

                私は少し未来を想像するのが好きで、今は自分の仕事場に戻って、椅子に座りながらのんびりとした気持ちでぼっすーさんにじわじわ感謝する未来を希望しているようです。
                その時の私は勇気出して相談してよかったぁ!とか思ってるハズ。

                1. その感覚「力の抜け具合」を大切にして、目に映る景色を悲劇から喜劇へと意味づけを変えるというのもいいですね。

                  もう既にお気づきだと思いますが、未来を想像する時は現実とのコントラストではなく、単に最も心地よいイメージだけをするという形でワクワクしてください。
                  もし「何か」がやってきて、自分を攻撃しようとしてきたら、目を閉じて、瞼の上側に眼球を固定しながら今現在にだけ意識を集中して、「妄想」とか「迷い」なんてなラベリングをして下さい。

                  1. ぼっすーさんからの返信嬉しいです。

                    あと…悲劇を喜劇にという表現をされてドキッとしました。
                    チャップリンさんの名言に同じような言葉があるんです。ぼっすーさんならきっとご存知かな。
                    私は幼い頃からそのチャップリンさんの名言をずーっと心の支えにして生きてきたんです。

                    この悲劇はいつか必ず喜劇になるんだって。

                    もうそろそろ喜劇として観たいものですね…。疲れました。

                    今はぼっすーさんの存在に助けられています。ありがとうございます。

                  2. ぼっすーさん。こんにちわ!

                    ただ聞いて欲しくて連絡しちゃいました。

                    今日は朝から布団に転がらず、不安とともに椅子に座ってずーっと考えていました。

                    ぼっすーさんから教えてもらった方法を試したり、ノートに思いを書いたり、ブログを綴ったりしました。

                    私の「恐怖」の中に期待と依存のようなものがありました。
                    だからどうってわけでもないんですけど、期待と依存が薄まれば恐怖も薄まる気がしております。

                    それだけです。ほんと聞いて欲しかっただけ…。

                    お忙しいところ失礼しました。

                    1. どう考えても笑いにはできないというケースもあるので、無理に笑いに変えようとする必要はありませんが、怒り心頭したことや悲惨で嘆き悲しむようなことなど、それだけ感情が動くものは、その幅の分だけ面白さに変えることができます。
                      なお、チャップリンについてはあまり良く知らないので、そうした事を言っていたのは知りませんでしたが、言わずとも彼の生き方や幾多のコメディアンの方の生き方がそれを表していると思います。

                      「恐怖」の中に期待と依存のようなものがありました、というのは良い気づきだと思います。
                      発見するとそれを観ていずれその本質を見破ることができますが、それを見つけられないと意味がわからないまま暴走するということになってしまいますからね。

                      また思いつかれたこと気づかれたことがあればどんどんお知らせ下さい。

                      (なお、WordPressの仕組み上、コメントの1スレッドが上限10件までのようなので、直接該当コメントに返信できない場合がありますのでご注意下さい)

  5. お忙しいところ連続ですみません。

    話を聞きたい、話を聞いてもらいたいという気持ちが溢れてきちゃいまして。
    あと家族以外の人とのコミュニケーションに飢えているのだと思います。
    ご迷惑になったらすみません!

    実は私もBossuさんのようにワードプレスでブログを最近運営しています。(最近の11月から。)
    とりあえずうつうつな日記を書いています。
    私は虐待されていたので頭と心がバグってしまったのですが、以前よりは落ち着いて生きれるようになったので、そういった意味で誰かのためになるかもしれないという思いと、布団に寝転がってスマホで気持ちを吐き出すために作りました。
    せっかくだから、グーグルアドセンスを貼っていたのですが、精神疾患を患っている時って相手がお金目当てだとガッカリしちゃいますよね。当たり前だけど敏感になってるから余計に。
    うつ病で購入意欲ばんばんの人ってのもいないと思いますし…。
    利益があったらなぁと思いましたが、それは別に作ってみます。

    ボスさんみたいに、無広告ブログにしようと思いました。

    ボスさんはもしかしてアフィリエイトサイトなど運営されているのでしょうか。

    色々不躾な質問や、一方的なお話ばかりしてすみません。
    思想に共感というか…現実と理想のバランスをとっている考えをお持ちのbossuさんの存在にちょっと希望を感じました。僥倖。

    ご返信頂けるとすごく嬉しいです。
    寂しすぎて距離が近すぎなメールになってすみません!

    1. 外に向かってエネルギーを吐き出して、広い意味での外界との交流をするというのは良いと思います。どんどん書いてみてください。

      さて、「精神疾患を患っている時って相手がお金目当てだとガッカリしちゃう」というのは良い気付きだと思います。
      うつ状態のときは、購買意欲がないのはもちろん、疑心暗鬼に陥りやすいですからね。広告を貼ったり、商品紹介をしたり、メールマガジン登録を勧めたりするような有様は、「結局、営業かよ」、「結局、宗教勧誘かよ」「結局自己啓発系情報商材かよ」なんてなことになってしまいます。

      そして、広告収入を目的としてしまうと、自分自身がその収益にとらわれてしまうということが起こり得るという感じで捉えてみてください。
      本当に思っているような「まともな内容」が「商品を売るため」という目線が影響して屈折してしまったり、「広告表示回数を上げるため」にという邪念から、無駄なページ作りになってしまうこと、タイトルによる釣りで辟易させることなどが起こってしまう可能性があります。なお、アフィリエイトサイトなどを運営はしていません。

  6. 私…今までの人生で友人ができないことが結構悩みだったんですけど…友人ができて嬉しく思います。

    自分の思想を理解してくれそうだと感じる人がいなかったんだなって感じました。bossuさんの思想も極端なところもあって理解できないことも多々ありますけど。美魔女嫌いなとことかペヤングの面白さとかはわからなかったな。(ペヤングスカルプDはわかる。)

    Bossuさんみたいな変人そうそういないですし、変人ぶりをオープンにする人もいないですしね。納得。

    1人でも変人がいるだけで心強いです。(友人)

    1. 「思想」という言葉の言語としてのラベリングだけの問題ですが「思想というものはすべて捨ててしまうくらいでちょうどいい」という感じで、僕に思想はありませんのであしからず。

      自然法則を筆頭に理は、思想や主義とは別次元であり、個人的な考えで変更できるようなものではありませんが、そうでもないような「確実性のない思想」に固執すると、そうではない人たち、それを理解できない人たち、その思想に沿わない現実に対して怒りが生まれます。
      そしてその怒りは、この心を苦しめてしまいます。
      だから思想などロクなものではないのです。

      そういうわけで、別に同じような感覚では笑えないという人がいてもそれで構いません。僕はそれを面白いと思うという感覚の問題だけですからね。「である論」はそのまんま表現し、「べき論」に関しては例えそれを表現したとしても、それに執著しないという感じです。

  7. ぼっすーさんお気遣いありがとうございます。
    細やかな優しさを感じます。時々ブワァッて泣けてきます。

    今日は不安感が優しめです。
    昨日、ふとした瞬間に母(以下彼女)はクズだったと気づきました。
    バグってるクズでもあり、正真正銘のクズでもありました。
    私のクズの定義はインプットもアウトプットも狂っちゃてる感じです。
    彼女がクズだと気づいた瞬間、走馬灯のように彼女のクズな記憶がざーっと流れて、自分では一切思い出したことのないものもあって本当に脳は全部記憶してるんだなぁと思いました。
    そして彼女はクズだって思うたび、心臓が焼けるように熱くて、本当に燃えてるようでした。
    今もチリチリ燃えている感覚があります。

    私は彼女を優しくていい人間だと思い込もうとしていました。それは生きるために必要だったのかな…よくわかりません。

    その気づきと同時に、出し抜かれた彼女を思い出しました。私はその彼女に対しても優しくていい人間だと思い込もうとしていて、そうじゃないことに傷ついていました。
    仕事の彼女についてはこれでよかったんだと思いました。彼女の仕事も上手くいってるようだし、彼女と大きい仕事をしていたら今回以上にめんどくさいことになっていたように思います。嫌いだし!

    親子って濃いですね。
    私は母と一体化していたように思います。
    クズから生まれ育ったらクズになっちゃいますよね笑。
    私が私たらしめるものって何なんだろうかと今不思議に思います。

    私は不安が強すぎてあまり本が読めなかったので、ぼっすーさんのように博識でないので色んなことはよくわかりません。
    ただ、今回のことで他人によって自分が傷つくことはないという感覚がわかりました。
    ほんと関係ないんだなぁって。

    全然関係ないですけど、鳥のゆきおさんとお話しができるなんて素敵ですね。

    1. いろいろな気付きがあったようでよかったです。
      そうした感情は、できるだけ表に出して観察するといいと思います。今まで出口を求めていた感情のエネルギーがようやく外に飛び出てきた感じですね。
      その爆発的なエネルギーが自分を傷つける方に向いていたとなると…という感じがします。
      それが本来無属性のものであっても、目の前に起こる現象を頭が解釈する時、誰かと接する時なんかに起こる印象は一種類ではなく、たくさんありますからね。
      少し難しい表現をしてしまうと、一貫性・同一性を保ちたいという働きが生じて、ある側面を抑え込んでしまうことが起こります。まあ認知的不協和を嫌うという感じです。
      そんな感じで同時に起こった評価のいくつかは、閉じ込められてしまい、意識の奥で塊になっていきます。
      そしてそれに気づかずに閾値に達すると、うつとかパニック障害とかを引き起こすというような感じで捉えることもできます。
      そういうわけなので、抑え込んでいたものが外に出てきたのは儲けもんです。
      無理に思い込もうとする必要などどこにもありませんし、無理に思い込ませようとする社会的な圧力なんかも無視して大丈夫です。
      嫌いなものは嫌いで構いませんし、ロクでもない人を嫌いだと思える心があるということは、裏を返せば「慈悲の心が育つ」ということにもなりますので安心して下さい。

      あと、雪雄にはいろいろなことを教わりました。
      よく怒られたりもしましたが(笑)

      以下は参考程度にどうぞ。

      大半のうつの人に言えることですが、そうして「嫌いな人にされた嫌なこと」に振り回されているということは、心理的なパワーバランスで言えば、相手が上で自分が下というなんとも皮肉な構造になってしまっています。

      あくまで自分の意識の中だけのことではあるのですが、その構造は、ただでさえ嫌なやつなのに、さらに相手が支配者で自分が被支配者であるという感じになっています。

      では、どうすれば支配・被支配の関係をひっくり返せるのでしょうか?

      どこかのページで書きましたが、それは親子なら親子という関係をひっくり返せばいいのです。

      対象が自分の親なら、自分がその親になったつもりで慈悲深いような気持ちで客観視してあげて下さい。

      まああくまでそのような嫌な人たちも、誰かに育てられ、誰かに影響を受けという感じで、好き好んでその性格になったわけではないので、温かい目で見守るような感じになってみましょう。

      ただいきなりそうすると「相手をいい人だと思い込もう」という感情の抑え込みが生じてしまうので、少し工夫が必要です。感情を出し切って整理しながらのほうがいいです。

      そういうわけなので、その相手の嫌なところをすべて書き出し、そして相手の保護者になったつもりで「まだ評価できそうなところ」「感謝できそうなところ」なんかも書き出してみます。

      相手が親であっても自分の子供だと思って、思いを馳せてみましょう。
      「たいして能力もないのによく今まで生きてこれたな。ある意味すごいな」という感じでも構いません。
      「自分のことで精一杯どころか、半人前にも満たないような人間なのに、一応少しは他人の世話ができたのか、それはそれですごいな」とか「よくそんな環境で生きてこれたな。凄まじい生命力だな」という感じでもいいでしょう。

      で、嫌な部分についてはそれを書き出した紙を燃やすなり何なりして、その上で可能であれば、そんな評価ポイント・感謝ポイントを「どう伝えれば相手は喜ぶだろう」などと検討しながら実際に電話などで伝えてみましょう。伝えたら切っても構いません。「伝え逃げ」です。

      「嫌いな相手にそんな事はできないよ」ということであれば、まだ相手の支配下にあるか同レベルにいます。
      クズだと思っている相手と同レベルかそれ以下になってしまうという感じです。

      「世話をされる側」と「世話をする側」という構造を考えてみるとわかりやすいかもしれません。
      俗っぽく、「できない社員にでも給料を払うから社長の方に支配権があるのだ」と言うような感じで捉えてみても良いでしょう。

      といっても全て自分の内側で起こっていることなのであしからず。

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