気づかわしい

ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる。―このことはしかし不誠実であり、卑怯であり、不精であるということを意味する!それでは、不誠実、卑怯、不精が倫理の前提であるというのか? 曙光 101

「ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる」これは日本ではよくある光景です。不誠実、卑怯、までは同じですが、最後は精力という違いはあるものの、本日、今まさに性なる夜ということをエンジョイしているウェーイがたくさんいるでしょう。

文化・風習であるからという理由で、この日だけはなぜかクリスチャンを気取り十字架を胸にぶら下げている人がいますが、イエスは十字架に磔にはなったものの、十字架のネックレスはしていなかったと思います。

クリスマスを大いに利用していい局面

そのようなことはどうでもいいですが、クリスマスを大いに利用していいのは、男心がグッとくる、次のようなシーンです。

映画館でこのシーンにグッときた僕は、普段なら絶対に買わないDVDをその場で買って、今までにこのシーンだけを通算数百回観ています。

ということで今年も観てしまいました。Love Actuallyのこのシーンだけは何度観てもグッときますね。クリスマス被害者の会の一員ですが、このような利用の仕方はいいのではないかと思います。

ただ、これを最初にやった人が素敵なのは言うまでもないですが、単なるモテテクとしての利用や、ウェーイのネタなどには成り下がって欲しくないですね。

気づかわしい 曙光 101


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