本田宗一郎と井深大展 タイトル

本田宗一郎と井深大展

本田宗一郎氏と井深大氏、それぞれホンダ、ソニーの創立者であるこの両名は「尊敬する人」として、よく挙げられるお二方です。

「僕も尊敬しています」

ということが書きたくて、というわけではありませんが、僕が躍進するきっかけになったお二方です。

「なんだか楽しそう」

仕事に対する見方がほとんど180度変わってしまったきっかけであり、それは2004年の11月、いまから10年半くらい前の話です。

本田宗一郎と井深大展
夢と創造 「もの」づくり・町工場から世界へ

本田宗一郎と井深大展 梅田ステラホールにて

実は今でもデスクの横の書類棚にいつも潜ませています。

この頃まだ20歳そこそこ、社会の何もわかっていないような頃でした。

まだこの頃はテレビを観ていました。確か深夜にぼーっとテレビを観ていると、この「本田宗一郎と井深大展」の宣伝に近いような番組をやっていました。

暇だったので、何気なく観ていたのですが、気付けばかじりつくように見入ってしまったのを覚えています。

この頃まだ病中です。

回復には向かっていましたが、活字中毒ながら特にやる気も起きないような毎日でした。

少しの遠出も億劫になっていましたが、「梅田くらいなら」と、次の休日あたりに急ぎ足ですぐにこの展覧会に向かうことになりました。

ものづくりに対する熱意もすごいですが、何より仕事が楽しそうという印象を受けました。

本田宗一郎氏の「手の傷の図」みたいなのがあって、それでも負けずに開発に携わっていた、というよりも、それでもやり続けてしまうくらい熱中できる仕事に出会えたというのが羨ましかった、といった具合です。

世の中では「一生懸命に仕事をすることが尊い」というような洗脳に近いようなことが吹聴されていますが、そういう「みんなに褒められるようなこと」ではなくて、「自らも熱中できて、しかもそれが世の中のためになっている、そんな仕事をやろう」と、この時に固く決めました。というよりも、そうでなければ生きていても仕方ないだろう、と思いました。

僕は昔から、「褒め合い、慰め合い」が嫌いです。いまでも寒気がします。誰かを認めさせようとか、そういうことはどうでもいいと、小学生くらいの時から思っていました。

「一生懸命に仕事をすることが尊い」といっても、意味のない仕事は一生懸命しても無意味どころか害です。

一般的な仕事は、何でも自然な需要があって、その供給として機能しているので意味がありますが、この世には詐欺のような仕事があります。

やればやるほど、害になる仕事です。

そういうものでも尊いとされることになってしまいます。

偉くなったらやめるのか?

たまに偉くなった途端に、開発などに携わらない人がいます。

新しい事業の方に熱中しているというのならわかるのですが、代わりにゴルフなどに行ったりして遊ぶことに熱中する人がいますが、それではもったいないような気がします。

その当時、もしそうなってしまうのなら、そんな仕事を選ばないでおこう、と思いました。

もっとすごい技術者などが集まることもあるでしょう、それでも「オレも参加したい」と思えるような仕事でないと、虚しさでいっぱいになるような気がしたからです。

何よりも、この両名には「生涯楽しそうだ」という点に羨ましさを感じました。

モルモット精神

ソニーのモルモット精神は有名ですが、その時はすごく感銘をうけたのを思い出します。

東芝のモルモットだと言われて「モルモットで結構じゃないか、大企業が真似をするくらいなんだ。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない」といったことをおっしゃったというようなことです。

今でもたくさん、いますね。学校で習ったことの延長線上とか10年前の最先端だったようなもので作った型のまま、その時に決まったやり方のまま、未だにやり続けているような人がたくさん。特に変化進化のないような産業ならまだしも、ウェブ・インターネットの世界でもそんな人だらけです。それはそれでいいかもしれませんが、その惰性の感覚が見ていて違和感を感じてしまいます。せめて新しいものを開発できなかったとしても、それでも流れに、新しい技術についていこうともしない惰性の人だらけです。

あと、面白いのは、自社で開発しているとか言いながら1年2年費やして、やっと完成したと思ったら、どこかの大手とか「オープンソースをみんなで改良しようという旨の集まり」なんかが同じようなサービスを既に無償で配布していたりする、というものです。日進月歩の業界はそういったことがあります。

しかしそんなことは確実に予見できることです。そうなってしまうのは情報収集能力が欠けている証拠です。それを怠ってフライングするからそんなことになるだけです。

どんな分野でも

どんな分野でも、「仕事」としてのベースの能力が平均的にあって、携わるのが未経験の分野でも、関連図書を10冊とか20冊位読んで、後は最新情報を調べる能力さえあれば、怠慢な弱小業者くらいすぐに追いついて追い越せるはずです。

胡散臭いコンサルなんかから教えを請う時間があるなら、関連図書を10冊位読めばそんなコンサルから教わることはないということがわかります。背中に包丁でも突きつけられれば、本の10冊くらい一日で読めます(と言っても一冊が広辞苑くらいのページ数ならおそらく不可能でしょう)。それくらい集中力がなく、ちょっとめんどくさいと思ったらすぐにしなくなる、ということです。しかし突きつけられればできるのだから、できることです。

と、少し堀江氏のようなことを言いましたが、関係の無い話ではありません。

ちょうど、この展覧会の後、妙に希望に満ちた僕は、「世の中にはどんな仕事があるんだろう」と、大型書店に行きました。

そこで堀江氏の本と出会うことになります。

それから、僕は一気に加速することになりますが、それはまた別の機会に触れることにしましょう。それでも僕はその後、一度ではなく何度か勤め人になってしまいます。

2004年頃は、なんだか面白い時代でした。

あの頃の気持ちをたまに思い出すため、いつでもこの一枚の案内をずっとデスク脇に潜ませている、ということです。

と言っても、それは社会での一面でのお話。

仕事に刺激や快楽を求めようというような気持ちは特にありません。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ