新年 2016

新年 2016

みなさま、あけましておめでとうございます。

2015年から2016年になり、年明けからすでに1週間以上経過していますが、あらためまして、あけましておめでとうございます!

正月の休暇のおかげで体はほとんど回復しました。

正月は白味噌の雑煮ばかり食べていました。例年は白味噌とすましを交互に食べますが、今年は白味噌ばかりです。

先日地下鉄に乗っていると、洗脳されたおばあさんが、見ず知らずのおじいさんを宗教勧誘していました。その時の勢いは凄まじく、やはり洗脳パワーは恐ろしいと感じました。

最近では仕事面においても、大半の人と話が合わなくなってきました。その根底には儒教的な洗脳の影響があります。そもそも論として体育会系の発想が抜けきっていない、という感じです。

資本主義的な話をしても、相手が会社を経営している人であれ、ほとんどの人はまだ消費者のような意識を持っています。「仕事」という意味ではプロかもしれませんが、金融や投資を含めると、本質からずれているような気がすることがほとんどです。

そういうことには疎い割に、ただで人を使おうとか、全くの無リスクの都合の良すぎる話を平気でしてくる人もいます。

以前にご紹介した、「アイデアだけでお金になる」と思っている人や、何でもけち臭く全てをタダで何とかしようとしているタイプに体育会系儒教要素が入るとそういう人になります。

久しぶりに欲しいものに出会う

さて、先日少しだけ旅行に行きました。友達の家が旅館をやっているので泊まりに行きました。

そして、そこでおよそ10年ぶりくらいに「欲しいもの」に出会いました。

旅館に泊まった際に敷布団の下に敷いてあった「フォームマットレス」というものです。メーカーは「アキレス」というところのようです。

人生で一番深く眠れたような気がするくらいに、寝心地が良いものでした。

ということで友人に型などを聞いて、さっそく同じものを買いました。

これほど物が欲しくなることはそうそうありません。

しかしながら生活に直結しているような品物なので、普段は全くに近いくらい物を買わない僕も、何も考えずにすぐに買ってしまいました。

僕は意味のわからないものや、無駄に価値をつけられているもの、実質的な効用のない感情のためのモノにはほとんどお金を使いません。むしろ基本的には1円も使わないといったところです。付き合いなどで消費することがある程度です。

それは欲しいのに我慢するというようなことではなく、ハナから欲しいと思いません。欲しいと思わないものは買わないというシンプルな構図です。

そうなると、本当に買うものがありません。

ものどころか、いわゆる「遊び」もしないので、そういった消費行動は皆無と言っても過言ではありません。

もっとも嫌いなものは「水商売」です。前々回の投稿でも少し触れましたが、「皮膚でつなぎあわせた糞袋」という言葉しか出てきません。

タイヤの細いチャリとローリング・ストーンズ

「嫌いなもの」で思い出しましたが、御存知の通り「タイヤの細いチャリ」が嫌いです。正確には「タイヤの細いチャリ」が嫌いなわけではなく、タイヤの細いチャリに乗っている人が嫌いです。

縁の太いメガネをして髭を生やしてタイヤの細いチャリに乗ってカフェに行ってマックブックを開いているタイプの人が、なぜ「もっさい」のかということを考えたことがあります。

タイヤの細いチャリ・ヒゲ・メガネ・カフェ・マック

加えて、なぜローリング・ストーンズがかっこ良くて、「タイヤの細いチャリ・ヒゲ・メガネ・カフェ・マック」がかっこよさそうに見えてサブカルチャー的に笑いの対象になるのか、という事を考えました。

考えているうちに、「カッコよさを生み出している人」と「カッコいいものを消費しているだけの人」ということが判明しました。

ローリング・ストーンズは、かっこいい音楽、カッコいいステージを生み出している人たちです。

「タイヤの細いチャリ・ヒゲ・メガネ・カフェ・マック」は、カッコいいものを消費しているだけの人です。自作したもの言えば、食べ物から遺伝子が生み出したヒゲくらいです。

その創作性の違いです。

商品も原材料はそれぞれあったとしても、「いかに加工するか」というところで付加価値が創出されているはずです。

同じ原材料でも、初めて料理をつくる人と、料亭の料理人とでは味が異なるように、その加工具合によって質も価格も異なります。

そういった創作性の差がある、ということが根本にありますが、加えて「自分たちはカッコいい」と思っているところが、サブカルチャー的ギャップを生み出しています。

これはモッガラーナの「皮膚でつなぎあわせた糞袋」という言葉に通じるところがあります。

別に男性・女性問わず「皮膚でつなぎあわせた糞袋」です。

しかし「皮膚でつなぎあわせた糞袋よ」と言われてしまう人は、「自分は美しい」と思っているから言われてしまうという側面があります。側面どころかそれが根本原因です。

「かっこ良ければこうなる」とか「かっこ良くないと…こうなる」というのは、全て錯覚です。そんなものは必要ありません。絶対視するような事柄ではなく、またプラスアルファのように思っていることすら錯覚です。

アイドルが少し太ももを見せているようなポスターがあれば「皮膚でつなぎあわせた糞袋よ」と思わなければなりません。それが本当のことなのですから。

「タイヤの細いチャリ・ヒゲ・メガネ・カフェ・マック」も同様です。

これからも街ですれ違う度に、僕を笑わせてくれることでしょう。


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Category:miscellaneous notes 雑記

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