新しい根本的な感情

われわれは決定的に無常であるということ。― 昔、人々は自分が神の血統であると示すことによって、人間の栄光の感情にたちいたろうと試みた。これは現在では禁じられた道になった。(中略)そこで現在人々は反対の方向を試みる。人類がその方へと向かってゆく道を、人類の栄光および神との親類関係の証明に奉仕させようとする。ああ、これもやはり無駄だ!(中略)生成は過去のを自己の背後に引きずっていく。なぜこの永遠の演劇の中で、ある小さな星と、さらにまたその上の小さな類にとって、例外がなければならないのだろう!そのような感傷をすてよ! 曙光 49 一部抜粋

積極的ニヒリズム、力への意志、超人的なのが好きですね、ニーチェは。彼はよく意志とか感情とかいう言葉を使います。自称心理学者ですからね。

超人超人と言っても、とにかく「超サイヤ人になりたいぜ」みたいに感じてしまいます。人を超えたい、ということです。確かに少年ジャンプっぱいですね。しかし、佛も同じようなものです。

仏という字も、難しい方は「佛」です。人偏を三水にすれば沸で、水の場合は液体が気体に変化するという意味があるようです。ということは、透明人間になるわけではありませんが、変化した人、というような意味合いになります。 良心問題 曙光 208

なんだかんだで超人と積極的ニヒリズム

新しい根本的な感情として、「ある決まり事に適うことで死後にどうとかじゃなくて、俺は俺で自分を超えてやる!」ということで、ニーチェはたいてい最終的に積極的ニヒリズム、超人の方に行きますから、「結局お決まりはいつもそれなんだから」と思ってしまいます(といっても明確に唱えだしたのは、もう少し後ですが。「曙光」は1881年、「ツァラトゥストラ」は1885年、遺稿である「力への意志」は1901年)。おそらく繊細で恥ずかしがりなのでしょう。

そういえば、「ニヒリズム」が結構閲覧されているにもかかわらず、ニヒリズム、積極的ニヒリズムについて、どういう意味なのかという事を全然書かないまま、「オレは積極的ニヒリズムを採用するぜ!」という人向けに(採用とかそういうのは主義の世界ですから)、しか書いておらず、少し説明不足感がありました。「なぜこのように誇り高いのだろう 曙光 267」で、少し触れていますが、一般的なものではありません。

それまであまり触れなかったのは、解釈や学術研究のようなもので反駁してそこで終わってしまう人がいるからです。彼の考えを「知っている」や「理解している」や、「その主義だ」というのは、学校のテスト以外ではあまり意味がありません。

ニーチェがどういうふうに言ったか、という彼の気持ちを理解するのは結構ですが、「そんなことより自分の頭で考えてみましょう」ということです。

そういうわけでニーチェ風にもう少し解説的にいってみましょう。

いや、やめておきましょう。というのも何なので、ゆるくいきましょう。

「全国大会で優勝してプロになることが夢なんだ」

「すると君はどんな結果を求めているのかね?そこにどんな価値があるというのか?」

「だってちゃんと活躍できたら、みんなに注目されて、みんなに夢を与えられたら嬉しいだろ?それにお父さんやお母さん、チームのみんなだって喜んでくれる!」

「その価値を価値だと決めたのは誰なのか?どこからやって来て、どうしてその方向に向かうのだろう?ということを君は考えたことがあるのか?」

「その価値って…そんなことは当たり前だろ?」

「どうして当たり前だと思うのか?他人に認められることが、誰か他の存在に認められることにどんな価値が有るだろう?嬉しいという感情か?君は誰かの願いに適うことにしか歓喜を得ることが出来ないのか!」

「だって、嬉しいだろ!」

「自分の考えはどこにもなく、誰かの意識の中で生きて、誰かの願いを叶えることが喜びだというのなら、君は一体どこにあるのかね?世間の感情に左右されて、自らの感情も世間の感情の舵取りのまま、君は一生、海に漂う小瓶のような生を送ることになる。誰かに『これこそ嬉しい事だ』と決められたその指針に従うその生に、意味も価値もあるのかね?」

「じゃあ、そこには価値はないってことか?じゃあ僕がやっていることには意味が無いのか?じゃあ、やっても、叶えても何の意味もないということか?それならば、僕はどうしていけばいいんだろう。やっても意味が無いなら、やらなくてもいいってことか。じゃあ今まで僕を騙し続けた世間を、自らの感情のために僕を利用した社会を呪いながら、鼻で笑って生きていくことにするよ。いや生きることにすら意味が無いのなら、別に生きなくてもいいわけか」

「そこで消極的になってはいけない。そんな定めが存在しないのならば、それに憂うことなく、この人生が、今感じているこの瞬間が無限に繰り返されても悔いのないように、自ら働きかけることだ」

「なるほど、そうか、それならばもう一度!」

新しい根本的な感情 曙光 49


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