新しいものを古いと申し立てる

多くの人々は、新しい出来事の話を聞くと興奮するように見える。彼らは、新しい出来事がそれを先に知った人に与える優越を感じるのである。 曙光 284

新しいギャグほど寒気を催すものはありません。小学生が真似をするようなものは、絶望的なはずですが、大の大人になってもそのようなことを面白いことだと思っている人がいますから、そのような大人は幼稚園くらいから学び直したほうがいいでしょう。

同時に知っても仕方無いような新しい出来事を知ったところで、その情報を知って、何かの行動が変わるような要素があるのなら、そのような立場にいるのなら大いに結構ですが、全然関係ないのにその新しい出来事の情報に反応するのもよくわかりません。

自分の心の動きを見ることを避けるために外部の刺激で覆い隠している様な行動です。

先日久しぶりに会合のようなものに行きました。

新しく知る人との会話は、挨拶のようなものを除きたいてい新しく知るような話です。

誰しもが知っているようなことを聞いても仕方ありませんから、その人が自分よりも詳しいであろう事柄をテーマに会話することにしています。

そういうわけで、ほとんど聞く専門にまわる、というはずですが、明らかに口数は8割が自分であり、相手の思考を先読みして先に話してしまうというようなことをしているところを、話しながら自分を観察していて気づきました。

同時に、相手からの直接の影響というものはあまりないものの、相手に合わせて自分の中のモードがどんどん変化していったのもよくよくわかりました。

その場が去れば、それは自然に落ち着きますが、やはりどこかでは、自分の思考に関しての何処かの要素には影響を与えていくでしょう。

ある側面から見た、ある側面での決定方法などに少なからず影響を与えてしまう、ということがよくわかりました。

特段すぐに何かは変わるということはありませんが、意識が情報の寄せ集めであるならば、様々な出来事によって、―ある現象を見た時に思考が反応する場合が、―思考に何かの影響を及ぼす可能性がまだまだある、というようなことです。だからこそ、どんな時でも、どのような影響があるかをよくよく観察しながら、時にそれを吟味しなければならないでしょう。

新しいものを古いと申し立てる 曙光 284


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