感情の別な見通し

ギリシア人についてわれわれは何とたわいのない話をしていることだろう!彼らの芸術について、一体われわれは何が分かっているのだろう。その芸術の魂は― 男性の裸体美に対する情熱である!そこからはじめて彼らは女性の美を感じた。したがって彼らは女性美に対して、われわれとは全く別の見通しを持っていた。そして彼らの女性に対する愛も類似した関係にある。彼らは別様の尊敬をもち、別様の軽蔑を抱いていた。 曙光 170

女性に対しての感情はいくつかありますが、一種の軽蔑と怒りがありました。ひとつの軽蔑は醜さです。特に美魔女でしょう。なぜ悪魔がいいとされるのか、それは虜にすると、すなわち奴隷化できるということであり、貪りと縋り、自立心のなさ、「支配欲」に集約される一面があるからでしょう。その支配の様態として暴力的威圧ではなく、性欲的威圧を用いるというような側面です。

支配欲という意味では、男性による支配は暴力的であり、暴力と暴力、つまり力の一騎打ちになりますが、女性の支配欲の表れは、同情であり、ムラムラであり、偽装された愛であったりします。しかし明確に男女で分別されるわけではありません。

息子への支配欲が「親子愛」を偽装し、支配に都合の悪い、息子の意志の矛先の分裂を避けるために「嫁をいじめる」ということをしてしまうケースもあるでしょう。そういった醜悪さがあります。

美魔女はただの貪欲な弱者

また、美魔女とは一体何なのでしょうか。

これは怠惰と恐怖心と、支配欲、貪り縋りの象徴であり、ひとつもよい点がありません。

「美しくあるならば」

という点で、誰かを支配し、優越感に浸り、「おごってもらおう」という縋り貪りがあり、自らは何もしないという消費者的堕落の怠けがあります。

また、「美しくないならば」という、一種の恐怖心を内在しています。

支配、自惚れ、貪りができなくなる、という裏返しの恐怖心です。

その恐怖心克服のために、美しくなろうとしているということです。

どこまでも醜悪で、腐敗臭のする人間性です。

羨ましがられたいというのも、羨ましがられてることで自尊心を満たそうという行為であり、羨みがなければ心が騒いでしまうということです。

しかしながら「美しくある」ということは特に問題はありません。

今現在「具合が悪いのを治す」というのと「もっと健康になろう」というのは大差があるの同じことです。

また、それを評価する世の中はもっと異常でしょう。

ただそれは、恐怖心を与えることによって消費を加速させようという「成熟していない資本主義」としての一つの意志であり、それに意識が誘導され、縛られた状態です。

パスカルが言ったような「悲しきかな人は花そのものより花の絵画を評価する」といった状態である限り、それは続くでしょう。

ひとまずその呪縛から逃れる第一歩としては、動物としての人間であるかぎり、食う寝る出す、衣食住と具合が悪い時の治療くらいしか、必要ないことに気づいて、文化を過大評価しないようにすることで十分でしょう。

もう少し俗っぽく言えば、アイドルなんかにお金を使わずに、少し気になる同級生の女子にジュースの一本でもあげることです。

そこで何かに気づいたなら、アイドルの呪縛は一気に解けるでしょう。

感情の別な見通し 曙光 170


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