愛は無報酬

先程は性欲と「アガペー」ベースで少し触れましたが、再び「愛」です。

愛されることを望まずに、何かを愛することです。

「そんなことは損だ」と思ってしまうのは、この世は「有限で溢れている」と思っているからかもしれません。

「数に限りがあるのに、人にあげるなんてとんでもない」

と思っているのでしょう。数に限りのあるものもありますが、ほとんどは限りがありません。大抵は循環しています。

そして、常に変化しています。

もっと深いところをつっこむと、それは「あげるもの」を苦しんで得ているからかもしれません。

苦しんで得たお金を人にあげるのは渋く思ってしまいます。

たくさんの不快な思いをして変換した貨幣を、なぜ人にあげなければならないのか、と思うことでしょう。

そんなに不快な思いをせずして得たお金は簡単に人のために使います。

「ギャンブルで勝ったからおごる」というのがわかりやすい例でしょうか。

気分によって懐の紐が緩くなるもの変な話です。

「与えた分だけ返ってくる」という話が好きな人がいます。

横槍を入れるようですが、与えなくても既にかなり得ていませんか?

それを「まだ足りない」と思って、投資してリターンを望むように、ベンチャーキャピタルの様に「ほとんど外れても、1社でも上場すればいいか」、と投資家のようなことをしていませんか、と言いたくなります。

「与えた分だけ返ってくる」という方便を使って、「『与える感覚』を一度味わってみよう!」というものなら、いいのかもしれませんが、スケベ心を助長させるような「成功者になりたいなら受けろよ!このセミナー!」みたいなことをして、なんとか自尊心を保とうとしているように感じてしまう人たちがいます。

もう、そんなことは考えずに、一度闇雲に与えまくってみるのも面白いかもしれません。

その時の心の動きを見て楽しんでください。

他人の重い荷物を持ち運ぶときに「めんどくせぇなぁ」とか思ってしまう自分や、募金箱にお金を入れるときに「ううっ」となってしまう自分などに出会えるかもしれまえん。

人に何かお世話になったとき「オレもいつかはこんなことができるようになるかな?」と少年のような心持ちで想像してみると楽しいかもしれません。

いろんな気持ちを経験すると、なにか気づきがあるかもしれません。

人の重い荷物を運んでみて、疲れて「ふぅ」と一息ついて、「いまこの瞬間」に意識を集中すると、シラフに戻った時、「あれ、何も起こってない。荷物は動いてるけど」という感想が起こるかもしれません。

先ほどの行動は、もう、タダの記憶になってしまいました。

「気づきを得よう」、というのも「見返り」なので、無報酬ではありません。

何も考えずにやって、楽しんでみてください。

なるべく人に気づかれない形で。


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