快活さをそしる者

人生に深傷を負った人間たちは、一切の快活さに疑念を抱いた。快活さとは、いつも子供らしい、子供っぽいものであって、死に瀕している子供がそのベッドでなお玩具をかわいがるときのように、それを眺めると、あわれみと同情しか感じえないような愚かなものを漏らしているかのように。 曙光 329 前半

快活さをそしる者ということで、少し路線は外れますが「快活さが削がれる瞬間」についてでも触れていきます。最近、怒りが生じるわけではないのですが、一気に快活さが失われるケースがあります。

何かをやっている最中に横槍が入ったりした時、快活さが失われていくという感じです。謗られたというわけではありませんが、狂いが生じてしまうというやつです。

一気に意識にノイズがかかる

意見を言ってくるような論客のような場合なら別に構いません。対抗する気もありませんから、そのような人の場合は関わらないので大丈夫なのですが、ある一般的によくあるケースの場合、一気に意識にノイズがかかります。

それは女性と話す時です。

全ての女性というわけではありませんが、文章然り会話然り、特に仕事となると、一気に意識にノイズがかかります。

女性から送られてきたメッセージ等々は、文章を読んでも理解するのに時間がかかります。論理に一貫性がなく、文語体と口語体が変に混じっており、しかも口語体の場合はその人の気分のつぶやきのようなものが入っているので余計にわかりません。

もし女性と関わるとすれば、できれば自分が慣れた人か、聡明な方しか関わりたくありません。

なぜかツイッターにされている

メールでのやりとりの途中に、全然関係のない写真や、今の気分を送ってこられることがあります。

まさに

「いまどうしてる?」

です。

僕はツイッターではありません。

「いまどうしてる?」と聞いたわけではないのに、勝手に送ってこられます。そういうわけで、SNSと混同されているような場合が結構あります。

僕が「いまどうしてる?」と聞かれるのではありません。こちらがそうしたようなことを聞いた後に返ってくるような文面がいきなり送られてくるのです。

普通のメールのやりとりです。しかも一応仕事です。

しかし内容が完全につぶやきです。

僕はTwitterではありません。

はじめは軽率に扱うのもどうかと思い、少し返信していましたが、今は全部無視しています。

それで全員と縁が切れようが、それで構いません。混乱するよりもマシです。これ以上、友だちを増やそうという気もありません。特にモテようという気持ちは一切ありません。

煩わしいものは一つでも少なくしていく方向で考えるのが賢明でしょう。ということで主題に沿って言えば、快活さをそしられるよりも縁が切れた方が良いと思っています。

煩わしいものが無くなれば無くなるほど、仕事など全てが捗ります。

無駄話も、無駄な付き合いも、今後はもっと遮断していくでしょう。

快活さをそしる者 曙光 329

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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