徒労という修行

落ち込んだとき、落ち込んだ自分をどう慰めようとばかり考え、落ち込んだそもそもの原因を突き止めようとはしないものです。
薄々は気がついているのだけれど、自分が悪者になりたくないので何かのせいにしたくて落ち込んでみせるのですが、だれの同情も得られなくてさらに落ち込みます。

 「君は考えてなどいない、悩んでいるだけだ」といったのは確か三大幸福論で有名なアランだったでしょうか。それよりも前に誰かも言っていたような気もします。

「責任」という言葉がひとり歩きして、とにもかくにも何かを悪者にしないと決着がつかない、というような思想が蔓延しているように思いますが、たいてい「悪者不在」です。なにかの前提を決めてしまえば、悪者に仕立て上げることはできますが、責任を認定して賠償責任を負わすのは裁判官のお仕事です。

日常ではそんなに責任など意識しなくてもいいのではないでしょうか。

正義感、といえば聞こえはいいですが、根底には「損をしている」という不足感があると思います。

責任追及の矛先が自分か相手か、なだけで結局誰かや何かに責任を負わせようとします。

「自分で責任を自覚することはいいことだ」というのは勝手ですが、それもあまりいいことだとは思えません。

「何事にもとらわれないように」とは逆行する発想です。

別にそんなに気にしなくてもいいんじゃないですか。

修行 

「修めて行う」と書いて修行になるようです。何かを学んで行なって体感する、というものですが、普段やっていることです。

しかし、その修行自体が無意味なこともよくあります。

無意味ならまだしも、偏見を植えつけるだけの場合も多いでしょう。

また、「修行」と聞くと、逐一行動が必要なのか、と思ってしまいます。

 世間では行動することは必須かのように説かれますが、それは体育会系での世界でのことです。

「字がうまくなりたい!」となれば練習すればいいですが、本来的な修行なら、あえて何もしないというタイプのものもあるのですが、この場合はどう取り扱いましょう?

「何もしないこと」を行う、ということは少しニュアンスとしてはおかしくなってしまいます。

「することをやめる」の方が近くなります。

しかしながら、「することをやめる」ということを「行う」というふうにも言えてしまいます。

このように、こういうタイプは、言葉では伝えるのが難しい場合があります。

気持ち見つめる修行 ゲーム編

普段ギャンブルをしている人には不向きなことかもしれませんが、有給でも仮病でもいいので、一日か一週間か、何日でもいいのですが、休暇を取ってゲームをしてみてください。

ただの休日でもいいですが、なるべく「休みを取った」という状態のほうがいいでしょう。

パジャマとかスウェットとかそういうゆるい服しか着てはいけません。

マクドナルドや宅配ピザという食事が理想的です。

好みはありますが、コーラも買ってしまいましょう。

ゲーム機のある人はゲーム機、ない人でもiPadなどをお持ちならなにかダウンロードしてみましょう。

ブラウザ上で楽しめる「上海」などでも結構です。

それもないなら、適当に誰かから借りましょう、もちろん購入しても構いません。

ひたすらゲームをしてください。

もしかしたらいろいろな感情が湧き出てきます。

ご家族と同居の場合は、ご家族に見られようが言い訳などせずに黙々とやり続けましょう。

横槍が入るかもしれませんが、気にせずやりましょう。

世間が働くその間、ただ非生産的なゲームを楽しんでいるというその優雅さを満喫してみてください。

その時に何か罪悪感が出てきたら、その罪悪感の根っこを探ってみてください。

それが何かを「許していない」「許そうとしていない」アイツの働きです。

じーっと見つめてください。肩に力が入ったときは意識して肩の力を抜きましょう。

いわゆる真面目すぎて「徒労」ばっかりの人には、なにかの変化があるかもしれません。

慣れてきたらパジャマで電車にでも乗ってください。

「会社の人か、取引先か、近所の誰かにでも見られたらどうしよう」

という気持ちと仲良くやれる時まで。


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