岸和田少年愚連隊

先日、中学生の時にテープが擦り切れるほど観た「岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS」(1996)を改めて観てみました。ナインティナイン主演のやつですね。

観てみました、というような流れは苦手です。なぜならブログなどのタイトルが「○○に行ってきました」「○○観てきました」というのはおもんないグループのような気がするからです。俗に言う「踊ってみた、歌ってみた」の類の親類ですね。結局、消費者の域を一切出ない感じが寒いんでしょうね。特に面白く書いてくれるわけでもなし、ただ「○○しました」という「報告」に近いようなページですからね。芸能人が結婚した、だからそれがどうした、という感覚にさらに「おもんないグループが直島に行った」というレベルになると、もうどうにもこうにも困りますね。

昔から、「観るのが趣味」、という人の気持ちがわかりません。観てみて、面白そうだったら自分もプレイしたくはならないのか、という疑問です。僕はスポーツには関心がありませんが、野球が好きなら野球をすればいい、という感覚で生きています。観るだけで満足というのがよくわかりません。それだけで満足できるのだから、それに越したことはないような気もしますが、その先にある「観るだけではわからない経験」をしないのはもったいないような気がします。ということで「直島に行ってきました」と言われても、それがどうかしたんですか、というような感覚になります。かぼちゃのオブジェなんて観ても、一切なんとも思いませんからね、僕の感覚は。

語感がすばらしい

あの作品は描写もさることながら、変な関西弁が出てこないことがかなり良い作品なのではないでしょうか。たまにテレビなどでは、変な関西弁のまま収録したりしますが、そのまま放映するのを許可した人はどんな神経をしているのか今でも謎です。特に京都はよく舞台設定で使われますが、京都弁とはかけ離れた方言でセリフを言うことに満足している役者は、もう役者をやめればいいのではないでしょうか。イントネーションが違うということは、歌で言えば絶望的な音痴です。多少ずれているというわけではなく、絶望的な音痴のはずです。そんな人が歌手デビューしていいのでしょうか。そんなことをかれこれ20年以上思っています。

テロップなしでも丸暗記

何でもかんでも「わかりやすく」しなければ、消費者が離れるということで、何でも解説、説明文、テロップの類が盛んですが、そんなものをつけられたら、思い込みが先行して、「言葉」だけを追いかけてしまいます。それは形だけ真似てみる「安もんのバー」みたいなもので、グラスから洗い方からしっかりしたバーとは少しの差が積み重なって、味までかなりの差が出てしまします。おそらく内装に数百万かけているであろう「おしゃれなカフェ」のアイスコーヒーのコップの底を覗き込んでみると「IKEA」と刻印されていました。おそらく「ウェーイ」ノリで仲間内と調達しに行ったのでしょう。本格的な喫茶店のコーヒーは家では飲めませんが、そういうところのアイスコーヒーは、たいていスーパーに売ってるネスレのアイスコーヒーの方が美味かったりします。

僕は小学生の時には「ごっつええ感じ」と「すんげーベストテン」、の中の選りすぐりのコント、そして中学生の時に「岸和田少年愚連隊」のセリフを丸暗記しました。ただ、言葉を覚えるだけでなく、「歌」を覚えるように、イントネーションとテンポ、間も含めて、主要箇所はすべて丸暗記しました。僕は、と言いましたが、友人と数人でみんな覚えました。あの時に聞いた「語感」のインパクトが当時の僕たちには「生きていく上で重要」と判断されたのでしょう。「みんなで覚えよう」と誰かが提案したわけではありません。みんな勝手に覚えていきました。

カバンに鉄板

以前にも書きましたが、中学生の頃、僕はカバンの中に鉄板を入れていました。もちろんこの映画の影響です。その頃は、毎日が稲中卓球部と岸和田少年愚連隊を足して2で割ったような日々で、楽しくて仕方ありませんでした。自分としては非常に楽しかった記憶しかないのですが、どうしてか「そんな人たちと関わらないように」ということで、私立の遠い学校に行かせたり、モデル校とされるような学校の学区に入るようにお母さんと子供だけ引っ越したりするそうです。僕には理解できません。

大抵そんなことをする人は、「○○による健康被害」というような見出しの雑誌が大好きです。その記事が「根拠なし」と後でわかった時には、それまでさんざん「○○は体に悪いらしいよ」と吹聴して回った責任はとるのでしょうか。典型的な「情報に振り回される純粋消費者」ですね。

あの子と遊ぶな

ということで、僕は俗に言う「あの子と遊んではいけない」と言われる際の「あの子」だったわけですが、そういうことを言う親御さんが「かわいそうな人」ということは中学一年生の時から気づいていました。同時にそんな親御さんに育てられる友達も可愛そうだと、慈悲の心をもっていました。だいたいそう言うセリフを言う人、というかそういうことを言う人は全員「ギムキョ」であり、「自我の奴隷」であり、幸せではない人です。幸せではないというより、幸せに気づけない人です。

有害菌を恐れるあまり、有益菌や無属性の細菌まで殺してしまって、結局有害菌の繁殖を抑制していたものまで取り払う割に、自分の皮膚にも有害菌がついていることには気づいていません。

そんなことを思いながら、稲中ライフ、岸和田ライフを満喫していました。やはり5年に一度は観たい映画ですね。


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