孤独を学ぶ

おお、諸君世界政策の大都会に住むあわれなやつよ。諸君若くして才能に恵まれ、名誉心に苦しめられている人々よ。諸君は、あらゆる出来事に― いつも何かしら起こるのだが― 一言するのを義務と心得ている! 曙光 177 前半

また少し久しぶりになってしまいました、曙光です。

引用にも出てきていますが、コメントしたがる奴って何なんでしょうね。

そういえば少し前、うちの会社へのネット誹謗中傷事件みたいなのがあって、投稿主はさておき、サイト運営側に忠告を入れて解決した、ということがありました。法人がツッコむと訴訟の関係があるので運営側もすぐに動きます。

ニーチェの時代においても、「一言するのを義務と心得ている」タイプの人はいたんでしょうね。まあいつの時代にも一定数は存在するでしょう。

まあでもほとんどの意見は、何の価値もないようなコメントです。

なぜならば動機が自尊心の回復にあるということですから。

普通に話している最中であれば、すぐにそれは流れていきますが、インターネット上では、いちおうそのコメントが残りますからね。そういうところが結構問題です。サーバーとかが残ればその期間ずっとそのログは残るのですから。

さて、「孤独を学ぶ」です。

孤独と楽しみ

なぜ孤独が「良くない状況」だとされているのか、小学生くらいの時から理解ができません。

まあ「孤独は良くないことだ」としていたほうが都合がいい人たちがいるということも要因の一つでしょう。

あと、どこかに行く時に人と一緒でなければ行かないという人がいますが、一人で行っても成り立つような場所であれば、単独で行ったほうが楽しめると思っています。

少なくとも人と一緒にいくと、目的とか、楽しみ方が変わってしまいます。

個人的に特にカラオケには行かないのですが、例えば一人でカラオケに行くとすれば、それはおそらく歌うことを楽しみに行くという目的になるはずです。

しかし、それが複数、特に大人数にでもなれば、おそらくそこに行く目的としては、「歌うことを楽しみに行く」という要素が少なくなるはずです。

ここで面白いのがツーリングとドライブの違いです。

バイクで集団で走っていても、ほとんど話ができないため、比較的走ることを楽しめるのですが、車に同乗者がいると、話ができてしまうため、走ることに集中できなくなるという側面の違いがあります。まあ一人で運転するもの同士なら話は変わりますが。

孤独を学ぶ 曙光 177


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