奉仕の如才なさ

奉仕という偉大な技術の中で、御(ぎょ)しがたい野心家に奉仕することは、もっとも如才ない任務のひとつである。なるほど彼は全体で一番ひどい利己主義者ではあるが、断じてそうは思われたくない(これこそ彼の野心の一部である)。 曙光 295 前半

野心家は、その野心のためならどんな時でもどんなことでも利用しようとします。そんな野心家を支持して同調し、一体化しているような感覚を持って、自分を大きく見せようとする野心家よりひどい野心家がいます。

それは昔ならば隠れていました。ところが今ではSNSにたくさん現れています。消費者が供給者かのように振る舞える最強のツールとして、純粋消費者による発信が加速しています。

つい先日ネパールで大地震がありました。こういう自然災害の時こそそういった野心家たちがこぞって名前を売りだそうとする時です。といっても日本ではないため東日本大震災の時ほどではないでしょう。

カトマンドゥが停電しているという報道がありますが、残念ながら水力発電のため普段でも乾期は最大18時間停電します(今ではもう少しマシになっているかもしれません)。

自尊心獲得ゲームとしての野心家の売名行為

こんな時にだけ「俺たちに何ができるかってことだよ」などと、ツイートしたりして盛り上がる人がいます。これは災害を踏み台にした自尊心獲得ゲームであり、野心家の売名行為です。そうではないかどうかは、普段からどんな態度をとっているかでわかるでしょう。

それは売名による商業的な利益のため、といったものだけではなく、善人であるという自負、他人からの賞讃によって、自尊心を満たそうとするようなことです。つまりはいい気分になりたいというようなことで、例えば利益を得て、何かを消費しても、その消費で得れるものは「いい気分」とか不快の解消ですから、商業的な利益など介す必要がないということです。

その場合に野心家は「売名行為」というだけでなく「社会のために頑張ってるオレを見てよ!」発信をしているということです。

さて、災害援助の話はこれくらいにしておきましょう。

SNSに少し触れたので、SNS絡みでいきましょう。

野心かどうかを晒している

何名かの地方議員ともたまに会ったりするので、SNSでも友達になっていたりします。そういうわけで、その人達の投稿がニュースフィードなどに表示されます。

個人的には政治に関心がありません。なぜなら政治に関心のある人は経済音痴の自己顕示欲の亡者ばかりだからです。

自分の名前を刻んだ「橋」などを作ろうとしますが、あれはDNAとして自分の情報を刻みたいということの社会的表現であり、まさに生存本能からの衝動です。そんなものに付き合う必要はありません。

昔はよく政治の世界に勧誘されましたが、僕はいかなる主義も思想ももちません。ですから成り立ちません。

さて、政治に関してはさておき、SNSでのフィードです。

そんな地方議員の所に弟子入りしている人たちが、よく一緒に写ったりしています。なんならその議員がシェアなんかをしたりして、嫌でもその弟子入りしている人たちの写真などが見えてしまうのですが、その時の野心にあふれた表情は作り笑いではごまかせません。

申し訳ないのですが、何のために政治の世界に入りたいのか疑問です。

何人かそういう野心を持った人にも会ったことがありますが、「次の地方選に出ようと思っているんです」ということは聞くものの、何がしたいのかを聞かせてくれる人はなかなかいません。というか会ったことがありません。

「勉強中です」

としか言ってくれません。

残念ですが、それは大学生などが「公務員になりたい」と言っているのと同じです。公務員といっても様々な職種があります。一体何がしたいのかわかりません。つまりは公務員として待遇がほしいというだけで、公務員としての職務には関心がないということです。

それと同じことです。

「今日も朝立ちに参加してきました」

という内容の投稿は、つまりは何も語っていません。ただの売名行為です。

ただ単に野心が晒されているというか、自ら「野心だけですよ」と暴露しているようなものです。

奉仕の如才なさ 曙光 295

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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