変容

「ずっと変わらないもの」というものはありません。それは自分が過去との対比との中で変化を検証している対象のみならずです。

変容(へんよう)とは、一応姿形が変わることを意味しますが、変化との違いとしていろいろな説明がなされています。変化は物理的変化であり、変容は質的変化であるという定義や、変化は可逆性をもつが、変容は不可逆性を持つというような感じです。

変化と変容

例えば粘土やプラスチックを変形させる場合は変化で、人間の性格が変わった場合は変容であるというような感じのイメージになりましょうか。前者は一応元のような形に戻すことが出来ますが、人が何かの経験をした場合は、全く経験していない時の人格に戻ることは出来ません。そうして物理的にはあまり変化がなくても「質」が変わり、元には戻れないという感じの変わり方を変容と呼んだりします。

しかしながら、どのようなものであっても、完全に元に戻す事はできませんし、同じ条件の同じ現象は二度と起こらないという意味で一期一会だったりします。エントロピー物の変化もそうですが、物を捉える自分の認識の変化もあるのです。

そしてそうした変化は常に起こっており、そして今の認識はすぐに流れていきます。何も固定的でなく、常に変化を繰り返しており、その変化は目の前の現象だけでなく「それを捉えること」も対象となります。

「常に変化している」と知りつつも、それを思い浮かべるとき油断していると「この街もずいぶん変わったなぁ」というような感想を持つのがせいぜいです。そういうことではなく、一瞬一瞬で捉えきれないほどのスピードで全てが変化しています。いわゆる諸行無常です。

すべての現象は、常に変化を繰り返しています。同じ状態にとどまったことは一度もありません。

変化を認識するために

「変化している」というのはある意味で、印象であって、時間という「軸」の解釈をする機能を持ったものがない限り、変化を認識することはできません。つまり変化を認識しているからこそ、生きているということを実感しているということになります。

ヒンドゥー教的な輪廻転生が好きな人、スピリチュアリズムが好きな人等々、世の中には「魂(スピリット)だけは不変である」とか言う人がいますが、その魂が不変であることを確認するには時間が必要であり、時間というものがあるならば確実に不変でありません。

変化していないと認識できませんから、「不変である魂」を捉えるためには変化が必要であり、その時点で不変ではないということを証明してしまうことになります。しかもその魂に「意志」や記憶のようなデータベースがくっついているのであれば、データが追加されるので、それは不変ではありませんね。

しかし、どうして魂があると思いたいのでしょうか?そしてそれが不変であると思いたいのでしょうか?

自分を手放したくないという執着

それは「あると思っている自分」を手放したくないという執着であり、自分のこの状態が最高ではないにしろそこそこいいものなので、永続的にこんな感じで過ごしたい、というような思想ではないでしょうか。それはアイツの屁理屈です。

自分を手放したくないという執着が、霊魂の存在とかそうしうものを想起させるという感じです。

諸法無我

しかし、変化がないと「時間」という概念も生まれず、変化があるからこそ生じ、変化があるからこそ生じたものは滅するという感じになっています。

元々離れていたものがくっついて、そこからくっついた状態の「永遠」を望んだりしますが、離れていたものがくっつくには変化が必要です。不変であったらくっつきません。

諸行無常ゆえに

諸行無常ゆえに離れていたものがくっつくということが起こったのですから、また諸行無常ゆえにくっついたものが離れるということになります。

生ずる性質によって生じたものであるならば、必ず滅する性質を持ちます。

因縁により生じたものは必ず因縁により滅するという感じです。

目をうるうるさせて見つめ合っている男女などなど、永遠を望んでいる方には悲報となりそうな話ですが、不変だったら、最初からくっつくこともないのです。

離れている状態から変化があったからくっついたのであって、一度くっついたらそこからは変化しないで欲しいというのはご都合解釈です。完全に水平な線はどこまで引っ張っても交わりません。そんなことは考えればすぐにわかることです。

そうした形で一切の形成されたものは必ず変化するというのが諸行無常です。しかし、そうした形成されたものというのは、物理的な物やその性質といったような一見自分以外の外界の対象物だけを指すのではなく、その対象を捉えているという状態や意識の中にある動機や感情といったものすべてが対象となります。

そして、それらは変化があったからこそ生じ、変化によって生じたからには必ず滅する、必ずまた変化するという性質を持っています。それを示すのが諸行無常という概念であり、それは主義によって変えることのできない理を示しています。

諸行無常

変容 曙光 8

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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