危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393

危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。

まあ少しショックでした。

まずは参照記事のご紹介から行きましょう。

動物保護団体の崩壊

動物保護団体の崩壊 〜ネグレクトになった保護団体〜(リンク切れとなったようです)

動物愛護団体だったりとかは結局、ボランティアとか募金とかで運営してることがほとんどですが、そういう基本的な仕組みから徐々に脱するべきではないかと思います。

「団体が破綻したときのリスクをしっかり考えてください」

ということです。

保護した動物たちはどうなりますか?

ちゃんと安定運営ができる仕組みづくりをしてくださいという感じです。

もちろんこんなことを始めるくらいだから、運営者の方は、慈しみの心を持った人たちなのでしょう。

でも、それだけじゃダメな時があるんです。

優しさは強さの上に成り立つんです。

こういうのを解決するには、ちゃんとビジネス思考を持った人が運営するか、今の運営者がビジネス思考を持つかどっちかしかないのかもしれません。

運営資金の調達

寄付やボランティアにのみ頼る構造であるということは、収益を上げることが悪いことかのような観念があったりで、寄付以外で収益化を考えるときでもポストカードを作ったりくらいが精一杯でしょう。

ただそれでは、運営資金の調達は難しいということを本気で考えてください。また、文房具メーカーと組んでチャリティグッズという手も考えられますが、小規模ならそれも難しいでしょう。

ということで、商品紹介で全ての「動物用商品の購入」をチャリティ購入に変えてしまうという仕組みを考えたので一応書いておきます。

支援物資が届いても、管理する人が足りない、というときは少しばかりの現金がモノを言います。四の五の言っていられないときは、お金を使いましょう。

少しの工夫でチャリティ購入に変えてしまう

先ほどパクリアフィリエイターを非難したばかりですが、以下が本当のアフィリエイトの使い道です。

多少の収益にしかなりませんが、単純にアフィリエイトとYouTube広告収入なんかを検討してみるといいかもしれません。

少しの工夫で、チャリティ購入に変えてしまうという方法です。

そうすれば、委託の掃除費用くらいは賄えるかもしれませんから。

通常、チャリティ商品の購入による資金集めということになれば、それ専用の商品を直接販売するか、メーカーとの取り決めで売っていってもらう必要があります。

しかし、アフィリエイトというものは、商品を紹介してその商品が購入に至ったときは、代金の数%が紹介主に紹介報酬として入る仕組みです。

ということは、動物保護団体が商品を紹介して、誰かがその商品を購入すれば、自動的に寄付金にあたる紹介報酬が入ります。ということはチャリティ購入化することができるということです。

例えば、里親がペットフードを買う時に動物保護団体のサイトに張ったアフィリンクを踏んでもらうという構造にするだけで、里親も負担すること無く、商品代金に対する一定のパーセンテージが運営元に入るようになります。

直接、募金することではなく、そこで買うだけで貢献できるとなると里親以外も利用してくれるかもしれません。

いわば通常の購入であるはずのペットフード購入が、少しの仕組みである意味チャリティ販売になるということです。

また、保護動物の様子を広告付き動画としてYouTubeで出して、活動報告としての機能を持ちリレーションをはかりながら少しばかりの収益を上げるという方法もあります。こんな広告収入は、微々たる金額かも知れませんが、積み重ねることと長期スパンで考えれば、少しは運営の足しになるのではないでしょうか?

ただ、問題があるとすれば、胡散臭いアフィリエイターのように収益にとらわれてしまうことです。

寄付金などの会計報告と同時に収益をオープンにしてしまうと良いと思います。

本当に保護動物のことを思うなら安定運営の基盤を作るということも本気で考えねばなりません。

また既にある程度の仕組みはできていると思いますが、意図せず崩壊してしまわないように相互扶助関係もさらにきちんと構築しておくのが望ましいでしょう。

近隣の団体同士で定期的に連絡をとったりスタッフ・ボランティアスタッフの一部が定期的に相互に訪問したりする仕組みです。

でないと、孤独死と同じように知らぬ間に団体が崩壊していても気づけ無いということが起こりえますから。

まあ今回は、運営に関するひとつのサブ的要素のご紹介でした。

人の傲り

根本をたどると、ブランド犬とかブランド猫などを高い金で買おうとする人たちが原因だと思います。競走馬も同じです。

動物を「人の消費物」であるという考えが根本問題です。

昔、「イエス・キリストを知らない有色人種は、人間ではない」というところから差別が加速しました。

そしてその前提には、人間だけが尊いという傲りがあります。

その延長で、どこか動物を軽視しているフシがあります。

根本問題解決には、動物保護団体の活動という事後的な取り組みではなく、その手前である「人間の感情のために動物を利用する」という意識自体の変革が必要なのだと思います。

残念ながら亡くなってしまった子を代表として、リンク先の記事にあるあの子達が、どうしてもいたたまれません。

この世から無駄な悲しみ、無駄な苦しみが少しでも無くなっていきますように。

動物愛護からみる人のあり方

動物愛護週間

動物と暮らすための感性の発達

危険な美徳 曙光 393

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ