功利主義者ではない

「悪いものがたくさん示され記憶に留められるような力は、ただよいだけのものに与えられる無力よりも価値が多い。」― ギリシア人はこう感じた。すなわち、力の感情は彼らによって何かある利益や名声よりも高く評価されていた。 曙光 360

アイツだましの実験終了記念、というわけではないですが、連投です。

ブログを書くことによって頭を休ませるということをしています。

普通は何かを書くときには、「頭を使う」というイメージがありますが、確かに頭は使うものの、使ったほうが休まる場合もあるという感じで、まあ一種のリハビリです。

さて、功利主義者です。ジョン・スチュアート・ミルなんかが有名ですね。「最大多数の最大幸福」というやつです。

言いたいことはわかるのですが、悪用されそうな考え方です。

この世界は自分の世界です。

「たくさん人がいる」と感じているのも自分です。

自分が「自分」だと思っているのは「アイツ」です。何か固有の自分が「ある」というわけではありませんそして、心は受け取ることしかしていません。

仮にですが「最大多数の最大幸福」ということを受け入れて、「そうだそうだ!」となったとしても、周りが「最大多数の最大幸福のために」と、自分だけ迫害してきたらどうでしょうか。

その主義を受け入れられるでしょうか。

おそらく、すぐにそんな主義は捨てるでしょう。

多数決はあてにならない

さて、趣旨を少し変更して、多数決について触れていきましょう。

多数決があてにならないことは、以前から何度も触れています。どうしても義務教育の頃から多数決が正しいということを刷り込まれていますが、多数決や民主主義にはたくさんの危険性が潜んでいます。

そんな中で、今回は良い作品や文献を探す一つの方法について書いていきます。

良い作品や文献を探す方法

もちろん多数決はあてにはなりませんが、使えることには使える面があります。

単純にヒットチャートでも何でもいいのですが、単年など、短期間の多数決を信用しないことです。

短期間の盛り上がりで数年で終わるようなものは、その期間の流行です。うまく広告したもん勝ちな傾向があります。

そのような作品や文献にはそれほど良いものがありません。

ちょっとだけ検索についても触れましょう。

Googleの検索エンジンは、ある文献の理論をインターネットに応用して、それを特許としています。

その理論は、「良い文献」は他の文献で引用される回数が多いというものです。

それ自体に確実性はありません。

しかしながらインターネット検索程度ならば、それくらいの指針で十分です。

これを音楽に置き換えてみましょう。

すると「カバーされる曲」というものが思い浮かびます。

また、アーティストのインタビューなどで「影響を受けた」として、名前が出されるということも一つの指針です。

ただ、これもプロモーターの戦略の場合がありますから、ある程度のノイズが含まれていることも否めません。

良い作品や文献を多数決で見つけ出すときには、引用と時間軸も考慮すると精度が高まります。

その年の盛り上がりではなく、長い期間読み継がれ、引用される作品を探してみてください。

日本語訳ででも原典を

そう考えると、スッタニパータや新約聖書などは、桁違いです。日本語訳ですら何十年のベストセラーです。

比較的最近ではニーチェなどもその対象にはなっているようですが、雑誌ライター程度の二次三次的記事と原典を比較してみてください。

その記事自体は、時間とともに忘れ去られるでしょう。

しかし、原典や日本語訳は残ります。

だからこそ、日本語訳ででも原典を読むに越したことはありません。

ただ、引用される回数については、インターネットはあまりあてにならないでしょう。

なるべく文献の中や、書籍の参考文献リストを参考にしてください。

今気づきましたが、ニーチェの本の中にすら、はっきりと文献名は示されていないものの、スッタニパータと新約聖書は引用されています。

たまごっちは、90年代で消滅しましたが、トランプはずっと安定的に売れています。

そういう感覚で、良作を探してみると面白いでしょう。

曙光 360


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