力の感情の鋭敏さ

権威にぶらさがったりしている人の取る態度は虚しいモノがあります。権威にぶらさがっていることも醜い態度ですが、権威の目から離れた瞬間に横柄になるという態度が最も冷笑の対象になります。

ある種の力が欲しいと思うことは、弱者であることを認めている、つまり弱者だと自認しているようなものです。

特に経済社会では、極めて力を欲していることがバレている人がたくさんいます。いつでも横柄も嫌われますが、謙遜と横柄という両極面を見せられた側は、一気にその人への信頼がぐらつきます。

力の魔物

本当は威張りたいのに、そこまでの実力がないから、遜っている。その姿は非常に醜いものです。

それが慇懃無礼のような意図的な強者の遜りならば、好かれはしないものの曲者として、ある種の自信が見て取れます。

威張りたいのにペコペコ

威張りたいのにペコペコしている、そして権威の目が離れれば、体を反り返し、仲間内には横柄になる、そんな姿が自分の後ろで誰かに見られているということが想像できない注意力のなさ、就職活動シーズンの学生にありがちな光景です。

その程度で、当の権威を騙せていると思っている浅はかさ、もう笑うしかありません。

相手は力のある人です。どうして力を持ったのか、その理由はいくつかあると思いますが、一つはそういった注意力が備わっていたか、もしくはその注意力すら必要のないくらいの勢いがあったという点でしょう。その人を浅知恵の猿知恵で騙せると思っています。

その前にどうしてわざわざ遜りと横柄な態度をわざわざ使い分けているのでしょうか。どうして時に「威張る」必要があるのでしょうか。

それでもいじめられてしまう人

社長ばかりの集団の中でも、どうしてもそのタイプの人がいます。こういう人はほとんど確実にいじめられてしまいます。露骨な暴力などはありませんが、ほとんど無視されていくでしょう。

いじめられてしまう人にも特徴があります。

何かよくわからないプライドを持っていることです。

いじめられる人にも様々なタイプがありますが、このタイプの人は、仲間に入れて欲しくて、ペコペコしているのですが、仲間になったと思った瞬間に、愛の飢えの押し付けや、仲間内のポジションを少しでもあげようと、「ちょっとタメ口」などを出してきたりします。

そんなことするのならば最初から自然体でいればいいものを、最初は遜っています。

初期イメージとのギャップ

それが、後に少しずつ横柄になっていきます。そしてそれが初期のイメージとのギャップになって「調子に乗り出した」という風に見えてきます。

はじめの方の物腰の柔らかさは演技だったのだ、と思ってきます。しかしそれは相対的なギャップのせいです。

最初から態度があまり変わらないのなら、そんなことは思いません。

騙されていたことに対する怒り

しかし、急に態度を変えるということは、相手を騙していたということです。

騙していたということは相手は「騙されていた」ということです。

騙されていたと感じた相手方は少し怒りや落胆を覚えるでしょう。そしてその怒りが返ってくるという構図になっています。自業自得ということです。

力の感情

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力の感情の鋭敏さ 曙光 245

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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