制限と美

君は美しい教養を備えた人間を探すのか?しかしそれなら君はちょうど美しい地方を探すときのように、やはり制限された展望と光景を甘受しなければならない。ー たしかに全景的な人間たちもいる。たしかに彼らは全景的な地方のように教訓的であってすばらしい。しかし美しくはない。 曙光 513

あえておカタイことをいうと、美しいとは、「羊+大」ということで身体の大きい羊のボスが、仲間を守るために天敵に立ち向かっていく様を表しているそうです。

だから美魔女は漢字の熟語のルールで言えばおかしいのです。美と魔は相反するものですからね。

ちなみに「死」は、「一」が土の表面で、「夕」と「匕」は土葬されている人を示します。で、前者は背骨を折られている人、後者は普通に座ったように埋められている人です。

前者はなんだか嫌な感じがしますね。まあ罪人などが土葬される時は背骨を折るような形で埋められたそうです。

だから「怨」という字の上は背骨を折られている人を指し、そうした人に対する心や「そういう風になってしまえ」という気持ちということになります。

まあ一応、字源の一説のうちのひとつですけどね。

という漢字のお勉強コーナーでした。

さて、制限と美です。

これは拘束美のようなことを書けということでしょうか。

なぜか昔から靴下がズレてきたときの靴下のゴムの痕に惹かれる傾向がありました。自分の足の痕ではなく、同級生の女子などの足です。

そしてなぜか、このことに共感してくれる人は概して、「作曲ができる人」だけだったというのも不思議です。

ロープワークという変な趣味

実はロープワークをする時はすごく抽象的な空間で構造を構築していく必要があります。

小学生の時から、ロープワークが好きで、ボーイスカウト時代にそれが加速しました。

人や物を問わず、紐で設計していくことは、脳の中の非常に文化的・アート的な部分を使います。

ロープをしまう時にエビ結びをしているだけで、楽器を弾いているときのような状態に近くなります。

ロープを「わらじ」にして、また解く、というような一見無駄そうなこともたまにやることがあります。

PPロープで、ティッシュの箱を亀甲縛りや菱縛りにすることもあります。ただ縛っていくだけではなく、その時にバランスを考えてイメージの完成形にどれほど近づけるかというようなことをしている時があリます。

これは積み木で何かの形を作り上げていく時、どんな表現するのかということに近いような要素があります。

今少し、「筏を組みたい」と思っているほどです。

人の拘束状態が特段好きなわけではなく、純粋にロープワークが好きなのですが、それでもやはり物ではなく弾力のある人の体にロープを施していくというのも一種の美しさを感じます。

このタイプの美しさは、写真などでは臨場感が足りません。

実際に目の前で見ないと、体感することはできないでしょう。

鏡を見て自分自身でうっとりする人が多いと聞いたことがありますが、縛られる側は、想像を超えるような耽美に没入するそうです。

まあ傍目からも美しさを感じます。

もしかしたら、歴代の「裸体を書く画家」たちは、このタイプの美しさを何とか絵にしようとしていたのではないか、と思うほどです。

といっても、僕は単純にロープワークが好きなだけなのですが。

制限と美 曙光 513


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