公私の告発者

告発し審問するすべての人をよく観察せよ。― 彼はその際自分の性格を露呈する。しかも、その犯罪を彼が追跡している犠牲者の性格よりも劣った性格を露呈することが珍しくない。告発者は、ある犯罪あるいは犯人の相手方は必ず元来よい性格でなければならぬ、またはよいとみとめられなければならぬ、と少しも悪気なしに考えている。― そこで彼は勝手気ままである。すなわち、彼は意中を明らさまにするのである。 曙光 413

告発者という字を見て、確かひょっこりひょうたん島か何かのゲームで出てきた「告発者の日記」が頭から離れません。

ちなみに告訴と告発は同義語のように見えますが、被害者などが行うのが告訴、告発は被害者以外の他人によるものです。なお、親告罪は告訴しか受け付けませんよ、という感じです。

というようなことを思い出しつつ、公私の告発者です。

数で責めればなんとかなるというあの風潮は何なのでしょうか、ということで、メスに多い集団での審判についてでも書いていきましょう。

1万人ででもかかってこい

以前どこかで書いたかもしれませんが、僕の友人が離婚寸前になった時に、当時の嫁が友人3、4人を連れて友人を責めてきたことがあるそうです。

「数を集めれば勝てるだろう」

そういう感じだったのでしょう。

その場は友人の

「お前らは関係ないやろ!」

の一喝で終わったそうです。さすが僕の20年来の友人です。

民主主義とメスの群れ行動が掛け合わさると、そんな感じで数を集めれば説得で勝てるということを思っている人が結構いるようです。

それではモノは試しにということで、僕相手に1万人でかかってきてください。

「数を集めれば勝てる」ということを思っている人が1万人集まろうとも、その考えを採用しているレベルの人の能力はたかだか知れています。

といってもジョークですよ。

告白者

という僕も小学生の時は告発と告白の違いがよくわかっていませんでした。

その後中学一年生の時に、初めての告白のときは「耳たぶが燃えている」という状態になりました。あれはウソではありません。

耳たぶは燃えるのか?

そこで考えてみたいのが、そういう経験を正しい義務教育課程で行わなかった人たちが、大人になってから「初めての告白」をした場合でもきちんと耳たぶが燃えるのかということです。

延々とそういう勇気を振り絞る行動を避けてきて、大人になってスペックである程度絞込を行ったりして、異性と出会ったとして、耳たぶは燃えるのか、という点です。

僕は自分の体を使って実験することができません。しかし想像の上では耳たぶは燃えないと思っています。

公私の告発者 曙光 413


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