何も変わらないこと

中学生の時の卒業アルバムに、ある女の子が寄せ書きしてくれました。

「ずっと今のままのあなたでいてください」

そういった旨のメッセージをくれました。

同級生他、学校近くの交番のおまわりさんにも書いてもらったりしましたが、そのメッセージだけはなぜか時折思い返します。

一時期、おしゃれというか服にある程度のお金をつっこんだことがあります。

それから数年経ちましたが、最近ではそんなにこだわることをしません。

そんな中、ふと鏡を見てみると、中学生の時と同じような格好の自分に気がつきました。

カラーバランスや服の緩さなど、どう見ても中学一年生の時の夏休みのような格好です。

さらに自分が写った写真をじっくりみてみました。

表情が子供です。こんなにもか、というような少年の顔をしています。

毎日中学生のような心持ちでいるせいでしょうか、表情というか顔まで幼くなってきました。

深夜の公園

以前、仕事が終わってから夕食を終えて、友達と公園に行こうという瞬間、自分の生活スタイルが中高生、下手をすれば小学生の時のままだということに気づきました。

それまでの間、たくさん「大人」っぽいことはしてみましたが、どうもしっくりきません。

水商売の店には一生行く気がないので、行ったことはありませんが、高い店で、「先生」と呼ばれる士業や地方議員と飲んだりもしました。が、どうもしっくりきません。

急いでタクシーで帰るより、体が元気ならたまにはてくてくと歩いて帰ろうと思ってしまいます。

そんな瞬間の方が好きなのでしょう。

乗り換えの関係で、京都駅までしか帰れなくても、そこから歩いて帰ります。結構な頻度で。

そんな僕は、やはり今でも公園に行きます。

さすがに雨の日はいきませんが、みんなが「店に入ろう」と言ってしまうような、極寒の日でも外にいます。なぜか友人もそのタイプが多いです。

今でも付き合いのある古い仲の友人たちばかりですが、高校生の時は、みんな学校が終わるとバイトに向かって、バイトが終わってからまた公園やガレージに集合するというような生活スタイルでした。

そこには多少の背伸びはあっても、見栄やプライドはありませんでした。

全員が訳を分かってない者同士、エラソーに説法するような形ではなく全員でなにかをずっと模索していたような気がします。

楽しい会話が終わる頃、それぞれが独りで悶々と考えたことの発表会をしていたような気がします。

気づけば朝五時。みんな一旦帰って、風呂に入って、学校の机で寝るということを繰り返していました。

それから何年も経って、いろいろなことがわかるようになりました。

確定申告の仕方も、会社の運営の仕方も、名刺の渡し方も。

それでもやはり何かは変わっていません。

十代の時、いかに自分と向き合うか、いかに十代を満喫するかで一生は大きく左右されるでしょう。

そんなわけで、友人と公園に行った時に、たまに日清焼きそばとリプトンのミルクティーを買うことにしています。

それだけで悶々としていたあの頃の僕たちにすぐに帰れるのですから。

曖昧さのもつ力

Category:さよなら私 / 始めと終わり

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