体験と創作

「1日体験」といったタイプのことをやってみると、その体験作業などをあまりに集中してやってしてしまうので、「ご興味が有るようですね」と言われて、その後に勧誘されてしまいます。

相手の言っていることを努めて理解しようということなのですが、不明点は質問し、理解したであろう内容を復唱して確認をとったりなんかすると、「よほど関心があるようだ」と思われるのでしょうか、その後はたいてい「支持者」として参加してくれと勧誘されてしまいます。

それが、政治主義思想や宗教の類なら、「普通は出だしから嫌な顔をするのに」と珍しがられるのか、すぐに勧誘されますが、全てお断りしています。理解しても同意しているわけではありません。

体験は理解が早い

物事の理を知るには、体験が一番確実で一番早いでしょう。テキストもいいですが、実際に体験すると、テキストの意味もよくわかってきます。

実験図鑑

小学生の時は、ゲームもしましたが、それよりも図鑑に夢中になりました。特に「実験図鑑」です。マヨネーズ作りやペットボトルロケットといったタイプのやつです。

ミニ四駆

それに当時はコロコロコミックなどでミニ四駆が流行っていましたから、その類もよくやりました。四駆と言いながら二駆です(当時はその矛盾に頭が「???」でした)。

桃鉄や信長の野望

以前、桃鉄や信長の野望についても触れましたが、それも疑似体験としては大いに効率のよいやり方です。

試しにリスト化して都道府県を文字だけで覚えようとしてください。そこに地図が加わると効率的、それよりも擬似的にでも旅をすれば、もっと早く覚えられます。桃鉄の場合は、名産品なども出てきますから、もっといいでしょう。

教師の出番がなくなって失業する

それをやらないのは、教師の出番がなくなって失業する、というような問題があるからなのでしょうか。

かつての日本でもコンピュータが輸入されようとした時、事務方の人たちはこぞって反対したそうです。「自分たちが必要とされなくなる」という危惧ですね。

洗濯機が世に出だした頃

また、有名な話では、洗濯機が世に出だした頃は、利便さは革新的だったにも関わらずあまり売れなかったそうです。

この洗濯機が発売当初売れなかった理由は、「家事が減るとサボっていると思われる、やることがなくなると困る」という点でした。

先の教育の件で「桃鉄、信長の野望」を使わず否定的に捉えているのがそんな理由なら、自分たちの都合で相手の学力を削っているという、本末転倒の結果になります。

まあそもそもそんなものを覚える必要があるのか、という事にもなりますが。

科学と創作

理解が早くなるということはいいですが、科学として方法論が示されだすと、たいていはその方法論の枠組に縛られながらということになります。

逆に縛られることで、失敗も少なくなります。

その枠組から外れて、しかも真っ当なものを創作しようと思うと、ほとんどが失敗に終わります。

そういった科学は、分類整理が得意な人が、対象を分類整理して、そこで共通点を見出したりして方法論などを構築していきます。

「枠組から外れること」を重視

「なるほどそうか」というものもありますが、今度はそれをみた「自称創作家」が、「その方法論から外れればオリジナルになるんだな」という方向に走ります。

特に芸術などはひどいものになるでしょう。

「オリジナルだ!」が大好きですから、「枠組から外れること」を重視するあまり、よくわからない方向に走ることが多いでしょう。

しかしそれは枠組みに縛られています。

ということは以前に何度も触れました。

さて、創作料理といいながら、「パスタ味の焼きそば」では、「それがどうした」ということになってしまいます。そんなものは、コンビニで売っているカップラーメン、カップ焼きそばでもしてくれています。

駄菓子の創作性

うまい棒を見てください、あの枠組みであれほどの創作をしています。

駄菓子と言われるものをよく見てください。

伝統的な菓子とされるものよりも多彩で、創作性が高いものばかりです。しかもうまい。

お金をあまり持っていない小学生などの時に、高級菓子がひとつ1000円すると聞いて、「それならばうまい棒を100本買う(時代的に駄菓子屋もたくさんあり、当時は消費税が気になりませんでしたから)」と思った人しか友だちになれません。

今でもゴディバではなく、明治ブラックのほうがうまいと思っています。

しかしそれより、「ヨーグル」の方がうまいと思っています。

あんなものを生み出した人は天才です。

駄菓子メーカーは天才ばかりです。

しかしながら、聞くところによると、小さなメーカーは夫婦で営んでいらしたりするそうで、しかも高齢だそうです。

駄菓子を機械で量産しているのかと思えば、意外と手作業が多いようです。

そういうわけで、一部のメーカーは事業承継も吸収合併などもなく、時代とともに消え行く存在かもしれません。それもごく近い将来の話です。

体験と創作 曙光 119


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