人間通の気晴らし

彼は私を知っていると信じこみ、私とこれこれの交際をするから上品でえらいのだと自負している。私は彼を失望させないように気をつける。なぜなら、私は彼に意識的な優越感をあてがったのであるから。彼は私に好意を持っているのに、私はその償いをしなければならないことになるであろうから。 曙光 303 前半

人間通の気晴らしならぬ「ラーメン通の気晴らし」は、誰かをラーメン屋に連れて行って「バリカタ」などと注文し、「ここのはバリカタが一番うまいんだ」と言った具合に「通」であることを、誰かに伝えることです。

消費者なのに専門家、専門家なのに消費者なだけです。うまいラーメンを提供してくれる店を知っているだけで、うまいラーメンが作れるわけではありません。

「趣味はワインです」

も、同じことです。別に料理に最適なワインを選べるならそれでよし、聞かれてもいないウンチクは必要ありません。

しかしながら、お客のために選ぶような職業ならまだしも、「趣味はワインです」は、ただの消費者です。

一言で言えば

「ただ単に酒を飲んでるだけじゃないか」

ということです。

ラーメン通も

「ただラーメンを食ってるだけじゃないか」

ということです。

以前、SNSで「ラーメン通の集い」といった旨のコミュニティに誘われたことがあります。

「なんじゃそりゃ」

の一言です。

ラーメンを食いに行くようなことで、つながっているような友達はいりません。

まだ、「最強のラーメンを作ろう」の方がいいでしょう。

それでも、

「人なんか集めてないで自分で研究すれば?」

の一言で終わります。

激流と愚問

刺激を求めても刺激に耐性ができていくからといって、特に好きでもない分野に手を出したり、また激しい刺激の方にいったりしますが、そんな刺激を求めても、今までも「耐性ができてつまらなくなる」ということをさんざん経験してきているのに、いい加減に彷徨うのはよしましょう。

フローだストックだ、といってもすべてフローです。ストックはスパンの長いフローなだけです。ストックは「固定的」というだけで、永続するものではありません。いずれ流れていきます。それが悲しいわけではありません。悲しいことだと思えば悲しくなるだけです。

それよりも、その流れを激流にしないと、ある激流に飲み込まれそうだ、という胸騒ぎがあるから、ひとまず何でも飛びつくのでしょう。

毎度毎度流れる中で、動いていないと、何かに飲み込まれそうになるから自発的に動いているというわけですが、その動きは世間では問題視されません。なぜならそれは、消費行動であり、資本主義としてはありがたい行動だからです。

「私は通だ」という人は常にどこかに飲み歩いていたり、欲しい物を買って堪能しています。

しかし、それを「一ヶ月ピタッとやめてください」というと、たいてい怒ります。

それが出来ないと怒ってしまうような趣味のようなものは、苦しみです。なければ苦しい、やれなければ苦しいのですから、そんな趣味など無い方がいいに決まっています。

その趣味の刺激がなくなると同時に、刺激が少なくなった時に出てくるのは「胸騒ぎ」です。苦しい胸騒ぎです。

自分は何のために存在しているんだろう?

自分は何がしたいのだろう?何をしているんだろう?

自分はなんで存在しているだろう?どこからやって来て、どこへ行くんだろう?

といったことが襲いかかってきます。それを誤魔化すために他の刺激に頼っていると言っても過言ではありません。

しかし、そんな疑問は考えても無駄です。全て仮定、仮説、妄想の範囲を超えません。なぜならその正当性・正確性が証明できないからです。外部で証明されても、その外部の証明を認識するのはまた内部ですから、成り立ちません。外部の証明の正当性を証明するのは内部になりますから。

すなわち、誰かすごそうな人に聞いて、自分の考えを「その通りだ」と言ってもらったとしても、その「すごそうな人」の証明を正しいと証明するのはこちら側、ということです。それではいつまでたっても、それが100%で正しいと証明はされ得ません。論理的に不可能です。

といっても、答えは簡単です。

疑問が愚問な理由は、前提として置かれた、時間も、自分も、空虚なものであり実体は無いからです。命題の前提が崩れれば、ナンセンスか無意味になります。

それでも、苦しみを認識しているという事実は消えません。

それを体感として気づくためには、「通」である趣味を手放さねばなりません。そんな無駄な刺激に頼っていては、アイツが提唱する「実在」の餌食になるでしょう。

人間通の気晴らし 曙光 303


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