不足感や願望は「過去からの因果」という思い込み

一月ぶりになりました。曙光シリーズを進めようと思ったら、実家に置いてきていたようでした。ということで、哲学カテゴリでも良かったのですが、あえて「うつ」テーマとして、根本的なことについて触れてみましょう。

だいぶ前に「ストレスは溜まるものではない」みたいなことを書きましたが、何となく意味は伝わっているでしょうか。

そんなものは実在はしないのです。そして、今現在、そうした思考なんかが再燃して今現在ストレスを感じているということや、そうしたことの繰り返しによる身体のダメージがあるだけで、ストレス自体が溜まっているのではないという感じで捉えてください。

まあそうしたモヤモヤを今現在体感していて、身体的に少し軽減したいのなら、頭をトントンと叩いてみましょう。変に熱気みたいなものや電磁波みたいなのがふわ~っと出ていったら少しはマシになるでしょう。あとは四股踏みとか、「応援団並みの大声を出す」なんかで、腹回りに活力を与えるというのも良いかもしれません。

ちょっとだけ前置きでしたが、あまり気にしないでください。まあ少しは現時点での気が楽になるとおもいますので、ちょっとは気にしてもらってもいいですが、特に必須の条件ではありませんからね。

たいていは「不足感」そしてその裏に固定観念と願望を持っているはず

僕は生まれてこのかた「友達が欲しい」と思ったことがありません。

物心ついてから、小学生くらいのときには、別に「欲しい」なんて思わなくても勝手に同級生みんなが友達でしたし、○玉が発達してからも、人の好き嫌いははっきりしてきましたが、勝手にできるものはできるといった感じで、特に友達がほしいと思ったことはありません。

社会に出てからも、全然欲しいと思ったことはなく、文化系特有の「早く家に帰って一人で黙々と作業をしたい」という雰囲気を出していたはずですが、何だかんだで人に誘われたりで飲みに行っていた、という感じでした。

今では、ほとんどそういった「遊び」とは無縁ですが、「遊び友達が欲しい」と思うことはありません。一人ならばそれでいいですし、誰かと遊んでもそれはそれでいいという感じです。

いきなり何の話か、と思われるかもしれませんが、つまりは、「友達が欲しい」という願望や「いま友達がいないから苦しい」といった不足感が全く無く、それに対応した行動を起こさなくても、勝手に友達はできてしまうということです。

で、こうした因果関係ですが、「それはあなたがそういう人格だからだ」とか「あなたの雰囲気がそういう人だから勝手に友達ができるだけで、誰しもがそうはいかない」と思う人もいるでしょう。

ということで、それが答えです。

いまの雰囲気がどうあるか、それだけなのです。

そこには条件はいりません。

どんなことを考え、どんな感情で過ごし、どんな雰囲気を出しているか、たったそれだけなのです。

ところがアイツこと自我は、何かそうした現象について、条件が必要だと考えています。

ある種意識的ですが、何かにつけてほとんど必ずと言っていいほど無意識的に物事を判断し、選択しています。

例えば、「自分は幸せになりたい」と思うとしましょう。

この時点で、現時点では幸せではないという様な前提も見え隠れします。

そして、「なぜ幸せではないか?」ということを考えはじめて、「就職先が決まらず、いま無職だからだ」と思うとしましょう。

だからこそ、願望としては「条件のいい就職先が見つかる」ということになり、不足としては、そうした「条件のいい就職先が見つからない」ということを思うはずです。

この時、意識的と言えば意識的ですが、無意識に「条件」も「現状」も設定しています。

でも、別に「幸せ」と「条件のいい就職先」など関係がありません。

こうしたことを僕がいうと、「あなたは自分の会社を所有していているからそんなことが言えるんだ。あなたは特別なんだ。私はもっと普通だからそんなことは到底思えない」と思う人もいるでしょう。

しかし、経済社会の全ての仕組みを理解していなくても、「幸せ」と「条件のいい就職先」など関係ないことは理解できるはずです。

そもそも、無意識的に

「就職していなければ、『あなたは今何をしているんですか?』と聞かれた時に恥ずかしい」とか

「ごはんを食べるためのお金を得るためには就職という選択肢が一番合理的だ」とか

「就活で内定を取りまくってたやつがモテていた」とか

「テレビ番組で婚活特集をやっていて、最低限これくらいの仕事をしていないと異性に相手にされない」とか

「嫁が嫌な顔をする」とか

「他の方法もあるのかもしれないけど、ローンの支払もあるのに起業なんて選択肢は到底考えられない」とか

いろいろな無意識が働いて、「条件のいい就職先」を願望として設定して、現状はそうではないということで不足感を感じているという事があるでしょう。

こうしたことは全て自我による判断であって、まず、自分の本体を小腸だと思って、「動物なんだ」ということから考えてみましょう。

いや、まあそんなことは思わなくても大丈夫です。

まずは、勝手に幸せになってみましょう。結果は後からついてきます。

そういうわけで、意識的に合理的に判断しているつもりでも、その前提となる判断材料としての情動記憶を含めた情報なんかは、無意識からやってきています。

これでは夢の中で起こる景色を自分でコントロール出来ないのと同じように、自分で意図した世界を見ることはできません。

起きているときの妄想と夢の中の景色

睡眠中の夢ですが、この夢はまさに無意識の世界を描写しているという感じです。

そういうわけで、僕の場合は、夢の中のストーリーに爆笑し、目覚めてしまうということが月に一度くらいあります。それほど、無意識でも面白いことばかりが巡っているのでしょう。

どんな夢ならどんなことが?

みたいなことには触れませんが、そんなことはどうでもいいことです。悪夢を見ても、そのイメージが昇華されているだけなので安心しましょう。

今回のテーマとしては、起きているときの妄想は自分でコントロールできるものの、睡眠中の夢は自分でコントロールできない、ということを、先ほどの「無意識での選択」とくっつけて考えてみましょう。

起きていて自分の頭で考え、合理的に選択しているつもりでも、睡眠中の夢と同じように、アイツによって勝手に思考させられ、選択させられ、願望を設定され、不足を感じさせられているだけだとしたらどうでしょうか?

例えば、彼氏にフラれたと。

で、彼との復縁が願望だということになっていて、その方法論を模索したりしているとしましょう。

彼との復縁が願望だと感じている時点で、いま、彼とはお付き合いしておらず、彼のいない現状が不足だと感じているはずです。

で、不足を埋めるため、つまり幸せになるためには復縁が必要だと、アイツが判断します。

それで、何か無理矢理にでもということで、あれこれいろんなアプローチを考えてみたり、ということがあるかもしれませんが、考えてみれば、幸せに「彼との復縁」は必要ありません。

「いや、今の私にとっては、それだけが幸せの条件だ」という人もいるでしょう。

では、その彼の良さを10倍にし、彼の欠点を全て埋めたような人とお付き合いするか、その彼と復縁するかどちらが良いですか?その後の数十年を見越した場合はどうですか?

しかもそれが1時間後に無条件で叶うとすれば、それでも復縁の方を選びますか?

本当に合理的に考えれば、新しい人を選ぶはずです。

ということは、そうした願望は、本当なのでしょうか?

本当の願望があるとすれば、今すぐ、そして今以降延々と無限大に幸せになることです。

その幸せの形は、どんな形でも良いはずです。

しかし自我が過去からの経験則に基づき判断した特定の願望のようなものに執着する限り、そうしたものとの距離はどんどん遠くなります。

過去からの因果を今に持ってきているから目の前に見えているだけ

そういうアイツによる判断は、過去からの経験則、過去に得た情報から起こっています。だからこそ自我が無くなることはありません。そして、その延長で、今の現状は「こういう経歴をたどったから」過去からの因果だと考えているでしょう。

そして過去からの因果があるからこそ、今特定の願望に執着し、特定の願望に対する不足を感じ、不幸感を感じていると。

ところが、その不足感も不幸感も現状も、過去からの因果を今に持ってきているから目の前に見えているだけです。

そうした因果関係の推測という一種の知覚障害が無くなった先には、そうした錯覚は全てなくなり、まだ白紙の状態の「次に来る今」が異なって見えるようになり、現実的な現象も変化していきます。

これが、業から脱した覚者、つまりは、過去からの因果から離脱し、コントロールできない苦しい夢の中、無意識の世界から目覚めた者という意味だったりして。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ