やはりそのために孤独!

なるべく孤独のほうが煩いも少ないのは当然ですが、「『独りで歩む』 独立自由と対人関係」や「犀の角(結婚の偶然)」などなど、孤独に関しては何度か触れているので、「やはりそのために孤独」という項目を、「自分と関わる人のために」というアプローチで書いていきましょう。

自分と関わる人のために「孤独」を選ぶ

本当に笑ってしまうような話ですが、以前までは、関係が浅い人ほど自分と関わるとうまくいき、自分との関係が深い人ほど、自分と関わると「うまくいかない」ということがよくありました。

簡単に言うと、仲の良い人・関係が深い人に僕がアドバイスすると、ほとんど目指している目標は達成できないどころか、ずるずるになってしまう、という現象が起こっていたということです。

僕がアドバイスすると直後に失敗し、しばらく無関係で一定期間経過後に再開するとすごくうまくいっている、という感じです。

最近では、ほとんど例外なくうまくいっているようですが、過去のそれを見ても、だいたいは失敗しています。

ただ、長期的に見ると、結果的に現在は良い状態に成っていることがほとんどです。

しかしながら昔を振り返ってみると、やはり僕がアドバイスすると、どれもこれもうまくいかないという事がよくありました。

その原因を最近考えてみたことがあります。

そして、その原因がよくわかりました。

関係が深くアドバイスが的確なほど依存されるか反発される

自分としばらく離れている人が、久しぶりに接してきたという場合、元の関係が浅いと少し怪しいですが、元々仲の良い人の場合は、それは疎遠になっていたというよりも、忙しくて意識の中に自分があまり出てこなかった、という経緯があります。

そして一段落してやってきた時に、忙しかった時の話を聞かせてくれます。

そして、話の流れで相談事になります。

その時に、アドバイスしてしまうと、ほとんどの場合、それまでの勢いが無くなってしまうという現象がよく起こりました。

アドバイスで混乱状態に

それは、相手は方法論が絞りこまれていたからこそ考えずにすぐに行動に起こせていたものが、一気に様々な情報を加えられてしまうため、所謂混乱状態になるというのが推測されます。

ある対象を一段高い抽象度で考えると、今の方法論はその中の一つの可能性にしか過ぎないことがわかります。

そして、相手は「その他の可能性」については、抽象度が同じレベルであるため比較的容易に理屈が理解できるのですが、それより「一段高い抽象レベル」を理解していないと、頭がまとまらないということになることがほとんどです。

同レベルの「他の正しそうな方法論」にも目移りし、「一段高い抽象度」にまでは理解が届かない、という混乱状態になったとき、その混乱を解くことに意識が集中してしまいます。

考えと考えが競合状態にあるとき

意識の中である考えと考えが競合状態にあるとき、基本的に行動というものは起こせません。

「うどんを食べに行く」

ということが決まっていても、目の前に4軒のうどん屋があれば、どのうどん屋にするのか決まるまでは暖簾はくぐれません。

混んでいるのかいないのか、値段が高いのかどうか、店主の意気込みを店構え判断するなど、意志決定の条件が他にあって、消去法的に可能性を潰していくことをしなければ、行動というものは実現しないものです。

そういうわけで、相談を元に混乱状態を招いてしまい、その解決の話ばかりになり、結果意志決定すらもこちらに依存し、自らの頭では考えなくなってしまいます。

そしてその上で、全て自己責任でしていたことが、頭数の増加により個々人の責任感の低下につながり、自らの頭では考えず、行動もしなくなり、依存体質になっていきます。

怒鳴りつけるというパターン

余談ですが、相手が混乱状態の時に、怒鳴りつけるという事をする人がいますが、この場合混乱状態を解くことよりも、また怒鳴られることを回避することに意識が無くため、怒鳴りつけた人の指し示した行動に意志の中の選択肢が限定されて、行動が実現するということです。

ただ、あくまで「混乱状態」と「怒鳴りつけ」を比較した場合に、「怒鳴られるのが嫌だ」に軍配があがっているだけで、不服感はずっと残ります。

自立のためにしばらく去る

そういう時に相手にあまりアドバイスもせず、しばらく去ることも相手のためになります。

子供の自立のために親が手を差し伸べるのをぐっと我慢するというようなものに近いでしょう。

それは相手を軽視しているのではなく、あくまで慈悲が発端の行動です。

依存されて喜んでいる場合ではない

自らのソワソワ感回避、感情の処理よりも、相手の自立を考えてのことです。自立とは依存をなくしていくということです。

相手に依存されて喜んではいけません。

相手の心の安穏に、「自分の援助」という条件をつけるということは、相手に重荷を課すということになります。

一気に仕事をやめさせてしまったという事例

最近では、相手が混乱しないように話すこともできるようになりました。

それでも話がややこしく、言語で伝えることが難しいことなので、やはり多少の誤解もあるかもしれません。

昔、少し年下の男性を一気に方向転換させてしまった事があります。

その時、彼は会う度にずっと

「有名になりたいです」

と言っていました。

そこで、普通考えることはいかに業績を上げるかとか、メディアリレーションなどの方法論、といったことでしょう。一応その彼は、芸能関係でした。そうと分かれば、受けるべきオーディションとか、そういう話になるところです。

しかしながらそこで話したのは、

「何で有名になりたいの?」

という大前提に関わる話です。

そこで彼は

「いやぁ、なんか有名になりたいです」

どこかで同じような流れがありました。

「挑戦したいです!」(「挑戦したいからです」への挑戦状

ですね。

「すると、『有名になること』というよりも、有名になった状態で感じる感情とかそういうものが欲しいんじゃないのかい?」

「そうかもしれないですね」

「じゃあ、その感情は別に有名にならなくても感じることはできるかもしれないね」

「そうですね」

「有名になった時に感じる感情は、別の方法でも手に入るかもしれないね」

「そうですね」

というわけで、彼はその道を捨てて、別の業界に行きました。

現在は、営業さんとしてバリバリ活躍しているそうです。

やはりそのために孤独! 曙光 491


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