もはや望ましくない友人

その希望をかなえてやれない友人は、むしろ敵であることを人は望む。 曙光 313

最近では「ん―違うな」と思う遊びの誘いは全て断っています。

先日はキックボクシングの観戦に誘われましたが、断りました。養殖のマス釣りも断りました。来賓で参加してくださいと言われたイベントにも参加しませんでした。

忙しいからではありません。なんだか違うと思う所には行かないことにしているからです。

特にそこにいって話すことができるのならば向かいますが、自分を楽しませようとするような遊びで、しかも楽しめないようなものは断っている、というようなことです。楽しくもないのに「話すこと」もできない、という場合ですね。

自発的に飲み屋に行くこともありません。ただ、相手がそこでないと話しにくいという場合には、そんなところにも行きます。

そういった意味でカラオケ屋は話ができないのであまりふさわしい場所ではありません。

しかしながら始発までの間、そこしか場所がないというのであれば一応お供はすることにしています。

せっかくの友人が

人も場所も瞬間瞬間に変化しています。

そして人との相性も特に長い年月が経てば意識の中に入っている情報にギャップが生まれ、変化していきます。それはそれで仕方なく、誰にも止められないことです。

時に一気に話が合わなくなる時があります。それはこちらか相手かがなにか強い意識を持った時です。

政治主義や宗教、マルチネットワークにハマった場合

例えば政治主義にはまってしまった友人とは一気に話が合わなくなるかもしれません。宗教にハマった場合もそうでしょう。

また、マルチネットワークなんかにハマったりすれば、ただの友人ではなく、相手にしてみればこちらがお金のための「駒」に見えてくるでしょう。

そしてそれでは露骨にいやらしいので「一緒に夢を語ろう」なんてな具合にやってきます。

友人が友人ではなくなる瞬間です。

しかしそれに憂いてはいけません。敵対する必要もありませんが、相手との良き思い出にも執着すること無く、捨てる時は捨てたほうがいいでしょう。

元の友情にとらわれることがないようにしなければなりません。相手に対する印象を一度リセットした方がいいでしょう。

リセットしたくなくても、常に相手は変わり移ろいで行きます。

どこにも固定化されたものはありません。ならば執着しようにもその対象がない、ということになりましょう。

もはや望ましくない友人 曙光 313


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