どこで自分を知るか

動物は他の動物を見るや否や、心の中でそれと優劣を争う。そして未開時代の人間も同じやり口である。ここから、どんな人間でもその場合、ほとんどその防御力と攻撃力に関してのみ自分を知るということが明らかになる。 曙光 212

時に防御力、攻撃力という言葉を使うからこそ「言ってることが少年ジャンプっぽい」と有吉氏に言われるんだぞニーチェ!

つまりは他の存在と相対化してしか自分を測れないのが通常だというようなことでしょうか。となると、「俺のスペック需要ある」氏も、動物や未開時代の人間と同じやり口だ、というようなことになってしまいますね。

自分を知る

就職活動用に求人系の会社が説きそうなキーワードですが、自分というものは本来ありません。アイツ目線で仮止めしてアイツ方向から認識すると自分という架空のものが出来上がります。

自分など知らなくてもいいのですが、よく言われるそれは、思考の癖について語っているのでしょう。

「あなたはどんな人物ですか?」

そう質問されて答えるときは自分について語っているというよりも、記憶と思考のパターンについて語っていることがほとんどだと思います。もしくは男女の区別など、持って生まれた性質、そして身の回り、つまり環境について語っています。

「世界は成立していることがらの総体である。世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」といった人がいますが、その方は前立腺がんで早くに亡くなりました。というのはさておきましょう。

普通に考えると「つまり環境」と言いながらも、「男女の区別は環境なのか?」と思ってしまいます。しかしながら、認識の間口としての五感と意識、それを心が受け取っているだけだという目線で考えればその属性も環境と言えてしまいます。ただ、言葉遊びのようなものですが。

こんなことを面接や、カウンセリングで言うと一発で問題視されます。

つまりは社会的なフィールドでの言葉遊びなのだから、言葉で遊べばいいのではないでしょうか。すべて説得で、言い訳のような性質のやりとりにしかすぎません。

四六時中明るいのを見たことがない

「明るい性格です」という人が四六時中明るいのを見たことがありません。

大半は明るく過ごせるということで、悲観的に捉えにくい思考パターンが意識の大半を占めています、といったようなことですが、変なセミナーを受けて意識が一時的にきつい変性状態になっているだけかもしれません。

どうせ知るなら「自分とはこういう人間だ」という定義してしまう類よりも、「こういう癖がある、その時の意識の変化を追ってみよう」というくらいで十分です。

自分を知って、そして再定義すればそのような人間になる、と言いつつも、アイツを騙してその方向に向かうことはできますが、何かの考え方が優勢になるだけです。

観察すること

考え方は考え方です。それ以上ではありません。

騙して明るく振る舞うという経験も結構ですが、そんなカンフル剤を利用しつつも、その時自分の意識はどういう動きをしているのか、観察することを忘れないようにしてみたら、まがい物ではなく着実にすっきりしていくでしょう。

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