だまされるのはいつも言葉 改

日々暮らしていれば、ふとしたことから「言葉」にだまされてしまいます。

言葉の力については、過去記事で少し触れましたが、言葉よりも強力なのは関連思考と想像力です。

意志の力よりも

何度か触れましたが、意志の力は大したことはありません。

くり返し唱えられる「言葉」や、サブリミナルの前では、半紙で機関銃を防ごうとしているようなものです。

体育会系は意志の力を「根性」と置き換えて、それを凄いものかのように説きますが、あれは激しい運動で思考が弱っている時に「声援」や「喝」を入れるから効果があるだけで、実際はあまり意志の力は働いていません。

本当は言葉には力はないのですが、そういう使い方をすれば力は出てきます。

言葉にも対応する観念がなければ、言葉はただの言葉です。

それ以上でも以下でもありません。

簡単な言葉から連想される関連思考や想像にこそその力があります。

意志の力は想像力には勝てません。

想像力

想像力の強さは、本当に測りしれません。

実際の体験と同等の効果をもたらします。

よくレモンを想像して唾液が出るというようなことが説かれますが、「レモン」という単語に対応する観念がなければその反応はありません。

نیبو

これはたった今、翻訳サイトで翻訳してみたウルドゥ語の「レモン」です。

この文字をみても対応する観念が意識の中で発生しないので、もちろん唾液は出ません。

それでも、「言葉」に力があるのでしょうか。

あくまで、対応する観念と想像力、そしてそこから発生する関連思考が力を持つ場合があるだけです。

具体的な想像ができない言葉

矛盾やナンセンスはもちろん、曖昧すぎて想像ができない言葉を利用するという手があります。

超論理的野郎の「アイツ」の特性を利用するやり方です。

たまに見る「肯定的な言葉」を唱えよう、という類のものがまさにそれを指しています。

たとえば「ありがとう」という言葉を言いましょうというようなやつでしょうか。

くり返し唱えると、目の前にそういう現象が起こっていなくても、過去の記憶、もしくは未来への想像、または現在の現象からの気づき、などから「ありがとう」的なことを探します。

言葉が単純であればあるほど、検索範囲が広がります。

あまり具体化しすぎると、検索が当たらないことがあります。

そして検索でヒットすれば、頭の中で実際の体験と同様の反応が起こったり、目の前の現象に対して思考がバイパスされて、フィルターのない世界が見えて至福を感じたりします。

こういうことを発見した人はたくさんいます。

最近ではだれかの本を読んで、自分を教祖のように仕立て上げて舞い上がっている人がいますが、あくまでその人がすごいとかいうわけではなくて、そういう法則があったりするだけです。

そのことをわかっている人はいいのですが、勝手に周りは盛り上がってその人を教祖のように盛り上げようとします。

ブックオフで100円の本の次元ですね。

それは全部自我の仕業です。自我の仕事といっていいでしょう。

そうやって、何かを誘導していこうという手法が、かつて政治や宗教の世界で使われました。いまでも使われているでしょう。

この想像力を駆使した、「幸福感」や「意思決定」は、印象だけ伝えるとすれば「10段階の2」位の次元です。

もっと深い感動が、あと8段も残っています(あまり数は気にしないでください)。

ゆーっくり楽しんでいきましょう。

過去記事⇒だまされるのはいつも言葉


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