たられば、かもしれない

だろう運転ではなく、かもしれない運転を心がけよう!

なんだか自動車運転免許センターみたいなところにありそうな標語ですが、
みうらじゅんさんみたいな話をします。

たらればが好きなのが、体育会系です。
そんな不確定なものに「はぁ?」というのが文化系です。

なぜなら前者には上下関係があり、後者にはないからです。
芸術大学などではあるでしょうが、基本的にありません。

以前、ある程度大きな会社の人に、
「もう少し仲良くなったら、○○さんを紹介してあげるよ」

というお言葉をいただいたことがあります。

いままでに何回かその手の切り口を聞いたことがあります。

どういう意味ですか?

本当にできる人なら、その場でその○○さんに電話してみるとか、今度その人が来る集まりに誘うか、などすると思うのです。

かなり失礼な話だと思います。

で、その人に引き合わせて欲しければ、タダで動くなどなど、私に貢げ。
ということなのでしょう。

また、「こんなすごい人脈を持っている」ということに酔っているだけかもしれません。

いずれにしても、僕はその手には乗りません。

いや、京都人独特の「言葉づかいへの過剰反応」でしょうか。

いや、「こういうところに無意識は表れやすい」と言った心理学者もいたはずです。

インターネットも情報空間ゆえに無形ですが、ありもしないもので人に期待させるのが手なのでしょう。

その期待という名の信用?で取引をしているわけです。

確かに人脈はお金と交換できるほどの資産かもしれません。

でも、そこまでして欲しいとも思いません。

自分と合ういい人だけと付き合って、その人を大切にしているだけでいいと思います。

人生の時間も物理空間も制限されていているので、腕はあっても人のよくない人に費やす時間があるくらいならゲームのレベル上げでもしているほうがまだ有意義だと思います。

そんな僕は、僕のいないところで
「あいつはかなり損をしている」とか言われていることでしょう。

でも、損なんかしてません。
むしろかなりの儲けを出しています。

ここでいう儲けとは人生の豊かさね。

考えてみればこういう力関係というか、社会でのポジションの取り方は、大体中学生、高校生の時のポジションに似ていると思います。

こき使われている人は、自分は弱いけど後ろ盾が欲しくて、仲間に入れて欲しくて、パシリになっている人。
人を使おうとするのはグループとヒエラルキーを形成しつつも、年上の人にはペコペコしていた人。

人に使われたいならサラリーマンにでもなればいいのに、
意外なことに社長さんばかりの一種の社会の中でも、使われる側の人はいます。

僕は仲いい友達と数人(3人くらい)で、ほかのどこにも属さずブラブラやりたいことをしていました。

結局スタイルは今でも変わっていません。

上座とか下座とか

上下関係が好きな人は上座下座に敏感です。

僕は気にしません。

だから、下座といわれるところにいつも行きます。
(もうひとつの理由は頻尿なのでトイレが近いほうがいいから)

でも思うのです。

そんなことにこだわるだけ神経をすり減らすだけなのです。

実力なんか誇示しなくても、仕事ぶりでわかります。
話し方でわかります。連絡などの手際よさでわかります。

で、下座に座るのですが上座に通されます。
(トイレが近いほうがいい、と拒否する場合もあります)

まさに新約聖書の記述どおりですね。

2000年も前からイエス兄さんは説いていました。

「上座に座りたがって、上座に座っても、あなたよりもっと偉い人が来て、下座に動くように言われて歯軋りすることになるよ」

「一番下座に座ったら、『あなたの席はそこではありません』と上座に動くように言われます」

これは例えてしか話さないといわれている書物の記述ですので、
おそらくもっと意味は深いですが、軽く字義的に考えてもなかなかのご名答だと思います。


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