さよなら2015

2015年も残すところあと数時間です。

今年最後の方は、多忙につきほとんど更新ができませんでした。

ようやく、一段落つき、そしてショートバケーションが始まります。

今年もたくさんの変化がありました。そしてそれは全てよい方法の変化です。

変化後に、変化する少し前のような環境に身をおくと、やはり意識にノイズがやってきます。それだけ抽象的な思考ができるようになったということでしょうか。

錯覚が解けると、相手の意識に影響されることが無くなります。しかしながら気を許していると、少しばかりの間影響されることがあります。

いわゆる精神的な疲れやダメージは、相手の意識に同調すると起こります。

それは自分と相手の実在を盲目的に認めており、その関係性などの維持を配慮しだすと、どんどんダメージがやってくるはずです。

身体だけの疲れなら、休息によってどんどん回復していきますが、意識が五感以外のものに影響されると、体の回復にも影響を与えます。

昔何かで読んだのですが、相手のペースに合わせない練習として、「あえてかかってきた電話に出ずに、しばらくしてからかけ直す」というようなやり方が書いてありました。

確かにそれは良い訓練になるでしょう。

何事も早く済ますというのはそれはそれで良いことですが、別に相手のアイツに合わせることはありません。

あとは悩まずに「考える」ともっとストレスはありません。

早く済まそうと、慌ててしまうのは、意識の中のタスクと「どうしようか」という迷いがあるからこそストレスを感じて慌ててしまうだけのこと。

タスクはメモ書きにでもして、意識から外しておいて、あとは、悩んだり迷わずに最も効率的に対処する方法を「考える」ということをすれば、特に疲れは生じません。

「早く終わらせて意識から消したい」

という一種の怒りが、結果的に効率の悪いやり方で、しかも付加を与えているといった感じです。

相手の意識に合わせないようにすると、仕事がなくなったり、相手に怒られるのではないか、という恐怖心は、一般的に感じるところかもしれませんが、逆に余計に仕事などがやってくるようになるというパラドクスがあります。

なぜなら、基本的に相手に合わせるということは、相手になめられてしまうということになるからです。そして、それは相手が体育会系ならばより一層顕著に現れます。

恐怖心が、意識の判断というフィールドにやってきたとき、「そうだ、上下はどっちだ?」という、まるで孔子バンザイ、体育会系の思想をうまく利用して判断しようとします。

社会的などの判断基準を勝手に持ちだして、「上か?下か?同等か?」という判断をして、相手との関係、相手への振る舞いを決めようとします。

しかし、本来そんなものはありません。それはある仮定に基づく、勝手な基準であって、そのほとんどは、旧来からの宗教や思想などによって、伝統的に利用されているだけの空虚なものです。

それは一種の洗脳であって、錯覚そのものです。

生まれた時から、様々な「教育」の中で、洗脳されていった結果であり、ある種の被害です。

洗脳といえば、新興宗教や自己啓発などの専売特許かのように扱われますが、それよりも普段問題視されない方の洗脳のほうが、よりタチが悪いでしょう。

「信じている」ということはほんの少しは疑っているということです。洗脳状態の人は、意識の中で、それ以外の考えを排除するようにセッティングはされていますが、完全に「それ以外はあり得ない」というのであれば、脱洗脳などあり得ないことです。例外が生じること自体がおかしいはずです。

自分が一種の洗脳状態にあるのだということを知るためには、今の状態よりも一段高い、抽象的な視点から自らを俯瞰することです。

たとえば、よくある「年商いくらです」は、経営者や会計関係の人、ある程度会社の数字を知っている人なら「え?売上でしょ?」という「それがどうしたんですか?」という感想がやってきます。

それは当然です。年商は売上であって「利益」ではないため、別にそれだけのお金を稼いでいるわけではないからです。利益率など業種によって千差万別、ほとんどマージンのない業種ならば、利益は少ないはずです。そして、年商がいくらあろうが在庫ロス、販管費や営業外損益などで赤字という可能性もあります。

これは経済社会にいる人ならばある程度知っている話ですが、勤め人などをしていても、未だに同じような間違いをしているパターンが「年収」です。

僕の個人的な「年収」は、一般的な勤め人よりも低く設定してあります。なぜならば、税金と社会保険料によるロスが高いからです。

例えば、天引きされた後に携帯電話代を払うのと、会社名義の携帯を会社の経費で払う場合、個人的な所得額は少なくて済む上に、所得に対する税金などがかかりません。そして、その携帯代は会社の経費になります。ということは、その分は法人税などの節税にもなります。

「年収」を高く見せるために、役員報酬を高くして、個人契約の携帯の料金を支払う、という馬鹿げたことをしていないだけです。

問題があるとすれば、個人的な借り入れをするときくらいです。しかしながら、個人的に会社の経費にならないような、個人的な消費でお金をつかうことがありません。

そういうわけで「年収いくら?」など何にもあてにならない数字です。そんなことよりも実質的な個人資産のほうが重要です。

ということを知っている人からすれば、「年収」の話題をしているなど、「収入源が給与所得しかない人なんだろうなぁ」という感想しかありません。つまり素人の会話です。

だいたい、給与による年収というものは「不安定」というよりもリスクが大きいものです。体を壊せば終わりなのですから、「安定した職業」というものはそれほどあるわけではありません。大きい組織でも、病休などが続くと役職を降ろされたりして給与が激減するのが普通です。

巷の「婚活」などに勤しむ人などの、そういった年収や職業の会話は素人の会話です。世間知らずとまでは言いませんが、経済知らずです。

そういった面は、人を測るものさしにはなりません。そんなものさしのほうが自分を苦しめるだけです。

これも一種の洗脳です。なぜならば、こういった経済知らずの方が従業員としては使いやすく、また税金も集めやすいからです。つまり、他人をうまく利用しようという人たちからすれば非常に都合がいい、ということになります。

実質的なものよりも、空虚なものに無駄に価値をつけるということの例です。お金も本来は空虚なものです。ただの情報ですから当然です。

心が受け取るものは、情報ばかりです。

五感ならば、五感による情報、意識ならば意識からの情報です。

意識の中で、ただの情報に無駄な関連思考を働かせて、本来の実質的な情報以上にしてしまうと、それはただの煩いになります。

情報によって、今の世界が作られているとすれば、情報を純化して捉えて煩いを無くしてみてください。


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