うさぎの死 さようならわが息子よ

寝たきりの要介護状態となり、実家の僕の部屋で家族総出で介護を続けていましたが、本日早朝前、養子のうさぎが亡くなりました。

夏頃から片足半身不随となっていましたが、マッサージなどで復活したり、また具合が悪くなったりという感じを繰り返していました(マッサージでうさぎの斜頸&片足不随を治す)。

その後完全に立てなくなったのは今年の8月13日。右側を下に向けるようにして寝たきりになりました。それから80日、家族総出でうさぎの介護が始まりました。

「小動物は寝たきりになるとそれからが早い」

と獣医は言っていましたが、毎度動物病院にいく度に「すごい生命力ですね」という感じで、普通ではありえないくらいに長生きでした。

ポカリスエットやすりおろした生搾りにんじんジュース、りんごジュースをシリンジであげたりする形で過ごしていました。

こうした寝たきりうさぎの介護生活についてはまた、別の機会に書きましょう。

寝たきりうさぎとの過ごし方

(後日、高齢になった寝たきりうさぎの介護生活について書きました。)

さようならわが息子よ、ということでうさぎとの出会いから別れまでを振り返ろうと思います。

うさぎとの出会い

Kさんちのうさちゃんと我が養子」で触れていますが、うさぎとの出会いは本当に不思議でした。

本当にイメージが現実となったことの証としか思えないほどでした。

いつも通る道沿いの家で、全く同じ配色のうさぎがいて、傍目からかわいいなぁと思いつつ、毎度毎度挨拶をしていたらある日突然いなくなって、その家の人(Kさん)に聞いて、うさぎが死んだことを聞かされてがっくりしていました。

その数ヶ月後に全く同じ種類の2歳のうさぎと道端で会って、「触ってもいいですか」と声をかけて、飼い主の人と話してみると、そのうさぎはその人の娘から引き取ったばかりだということで、「よかったらこの子をもらって」と言われたという運びです。

今でも初めてうさぎと出会ったときのことを覚えています。

ちょうど外で遊ぶのためにカゴごと玄関から出てきたところで、小さいかごの中で鼻をフンフンさせて、「早く外に出て遊びたいなぁ」という感じで、ワクワクしている感じでした。

「触ってもいいですか?」という話しかけのとおりに鼻筋を触ってみました。

すると「もっと撫でて!」という感じで、鼻をツンツンさせてきました。

「おい、可愛すぎるぞ」

と思いながら、「僕もうさぎ飼いたいんですよー」なんてなことを言っていました。

そうすると、すぐに「じゃあこの子もらってくれる?」という返答が来ました。

そしてその後は先の投稿のような流れで我が家に養子として迎えれ入れるような形になりました。

我が家にうさぎがやってきた

ちょっと大きいダンボールを改造したようなものの中に、小さめのカゴ、その小さなかごの中に入って、軽トラの荷台に載せられたうさぎは、おそらくビクビクしていたはずです。

そのまま僕の部屋に連れて行って、小さいかごを開けてみました。

すると、ぴょんとダンボールの内側のスペースに出てきて、改めてカゴの上に乗り、薄目で首を伸ばし、怖がりながらダンボールの外を覗いたり、また頭をひっこめたりということを繰り返していました。

家族には誰も話していませんでした。いつものごとく事後報告です。

全員僕の部屋を開けてびっくりでした。

翌日、ホームセンターに犬用の大きいゲージを買いに行きました。

足ダンし、お皿をひっくり返す日々

我が家のウサギは養子ということでオスです。

やんちゃで元気いっぱいのオスうさぎですが、うさぎのため例のごとく夜行性です。

深夜二時頃にはよく足ダンをしていました。

その音で目が覚め、養子の様子を見に行くと鼻を尖らせて連続足ダンです。

「うさぎの気持ちがわかってない!」

と言われているようでした。

そこでゲージから出して、玄関の廊下でしばらく遊ぶということをよくしていました。

なんせ僕は眠いので、廊下で横になっていました。

そうすると、お腹の上に乗ってきたり、背中に乗ってきたりしつつ、「じょ~」とおしっこをよくされました。

あるときは胸の上でマウントを取られ、おしっこをされながら、舌をペロッペロッとされました。

「ボスはオレや」

というような主張なのでしょうか。

それまでの育てられ方は全く知らなかったのですが、抱っこは全力拒否され、マウントを取られという感じでしたので、少し手を焼いていました。

また、足ダンに加え、よくペレットを入れるお皿をひっくり返していました。

仕事が忙しくなったりなどであまり相手をしてやれなかったときは決まってお皿がひっくり返っていました。

自己主張の強いうさぎです。

しかしながら養子入りして亡くなるまでの間、一度も噛まれたことはありません。そのあたりは温厚でした。

外に出ると嬉しくて跳んでしまう

養子のうさぎは、外が大好きでした。外に出ると嬉しくて跳んでしまう、という感じです。

海外のCMでありそうなくらいに、首をひねりながらかなり高く喜びジャンプをしていました。

若い頃は、とにかくすばしっこく、こちらも全力で走らないと追いつけないほどでした。

家の前の路地の中を走り回り、人の家の車の下やバイクの下に潜り込み、リラックスして寝そべりだす、という感じでした。

なかなか出てこないのでホウキを持って追いかけ回し、車の下に入りこんだときにはホウキで追い出し、我が家までホウキで誘導するという羊飼いのようなことをしていました。

外に出すなら昼間でないと厳しいということで、海外への冒険を経てまた働きだしてからというものは、さらに遊べなくなりましたが、僕の部屋に連れて行こうにも抱っこを全力拒否されるので困っていました。

ということで、洗濯カゴを利用することにしました。滑らないように底にバスタオルを敷いて洗濯カゴエレベーターに入ってもらうという形で、夜でも僕の部屋で遊べるようにしました。

8の字にぶぅぶぅ

思い立つどうぶつで触れていますが、上海から帰ってきて表で遊んだとき、僕の足の周りを8の字に「ぶぅぶぅ」と言いながら30分くらいまわっていました。

「もう一羽ぼっちにしたら嫌やで。うさぎは寂しかったら死んじゃうんやで」

と言われているようでした。

その当時、すでに僕には、「寂しい」というような感情や「群れる」というようなことを欲する気持ちは全くと言っていいほどなくなっていましたが、うさぎは元々群れで生活する動物です。我が事はさておき、養子のうさぎを不安にさせるのは悪いなぁと改めて思ったしだいです。

うさぎと公園

僕は個人的に海外などに行っておきながら、うさぎとしては家の中と家の前くらいしか知らないのも不憫だということで、近くの公園数ヶ所によく連れていきました。

といっても抱っこができるようになってからです。

抱っこができない間は爪は切れない(といっても若いときは走り回っていたので自然に削れていました)、遠出した時に車道への飛び出しの危険性と、カゴに返せず連れて帰れないという感じのことを思っていたのですが、ある程度年を取って「おじさん」になってから、ようやく公園デビューすることができました。

児童公園では女子に大人気

やはりうさぎの形状は女子としてはそそるものがあるのでしょうか、養子を母校の小学校近くの児童公園に連れて行くと、公園中の女子が大集合です。

「抱っこしていいですか?」

という感じで、代わる代わる抱っこ、女子に囲まれて全員で撫で撫で、小学生女子に大人気でした。まあ養子としては同い年くらいの女子ですね。

夜の公園で全力ダッシュ

養子のうさぎもある程度の年齢になり、養子が全力で走ってもすぐに追いつけるようになりました。

うさぎは夜行性、ということで、「夜の公園はどうだろうか?」という感じで夜の公園に一度だけ連れて行ったことがあります。

猫の目にギクリ、とても遊びまわる心境ではありません。

鳥が羽ばたくような音だけでギクリ、「オレがボスや」とマウントを取っていたときの気迫はありません。

そういうわけで、あえて養子を一羽ぼっちして、少し離れたで座って見守っていました。

10秒でこちらに向かって猛ダッシュです。

「おとーさーん」

という感じで猛ダッシュしてきて膝の上に乗ってきました。

夜行性ながら、温室育ちのぼっちゃんうさぎのため、夜の公園は恐いようでダメだったようです。

初めての動物病院

養子のうさぎを初めて動物病院に連れて行ったのは、6歳半くらいの頃、片目が白内障になった時でした。

うちのうさぎは、いつも目を開けたまま寝ていました。

そういうわけで、目を閉じて寝るうさぎと比較して、どうしても紫外線を浴びる量が多かったということが原因だと思いますが、片目の瞳が白くなってきたので、いちおう獣医に診てもらおうということになり、動物病院に行きました。

待合室で、犬と猫に囲まれ、非常に緊張した様子でした。

鼻を見ると、非常にフンフンしています。

そしてたいていは犬ですが、養子に近づいて匂いを嗅ぎにきます。

養子は非常に緊張していました。しかし、緊張すれば緊張するほど、ペレットを食べていました。

「いつでも全力ダッシュできるようにカロリー補給」

という感じだったのでしょうか。

一羽でできたよ!

何事もぼっちゃん育ちで、養子のために我が家の玄関先で育てていた大葉を「見つけた!」と自信満々に食べていたのですが、やはりそれでは見つけたことになりません。

ある時動物病院の帰りに、その近くの公園に寄りました。

そこで養子は初めて自分でたんぽぽを見つけて食べました。

「一羽でできたよ!」

そんな感じでした。

斜頸になる

うさぎの斜頸で触れていますが、8歳位の頃養子のうさぎは初めて斜頸になりました。首が片方に傾いている状態です。食欲も落ち、顔を見ると元気がなさそうでした。

動物病院に連れて行って、薬を飲んで治療を続けているうちに治りました。やはり斜頸そのものが死因となるわけではなく、食欲低下、体力低下などが危ないようです。

初めての斜頸のときは、完治してから1年位は完全に大丈夫でした。

しかし我が事ながら反省しているのですが、初めてのときも、そして再発したときも、ということで振り返りつつ原因が何となくわかりました。

いつも決まって養子の誕生日の少しあとに発症していました。

野菜盛り合わせの葉束

ということで、気付いたのですが、原因は誕生日プレゼントの葉束でした。野菜を盛り合わせた花束ならぬ「葉束」です。

葉束自体が悪いわけではないのですが、問題はその量とバランスです。

考えてみれば、人参に入っている酵素はビタミンCを壊し(というより還元型と酸化型に変化させ)、同時にビタミンCは副腎皮質ホルモンを作るのに欠かせないビタミンです。

で、神経症状を抑えるステロイドが処方されているという感じだったので、人参の摂り過ぎはマズイのではないか、と勝手な憶測ですが思い直したしだいです。

また、やはり野菜に含まれる水分量がお腹を壊す原因になっていたのではないか、ということも思います。

うちのうさぎは、薬を飲みだすまで下痢になったことがないのですが、どうやら水分だけ摂っても下痢にはならないものの、水分を多く含んだ野菜を多く摂ると下痢になりやすいということを聞いたことがあります。

そのような感じで、栄養バランスを崩してしまい、野菜の酵素でビタミンを壊し、かつ、水分を多く摂り過ぎさせてしまい、体調を崩させてしまったのではないか、と思っています。

そのことに気付いたのは今年の養子の誕生日の前です。

ということで今年の葉束は控えめにしておきました。

そして、葉束で体調を崩すことはありませんでしたが、寝たきり介護になってからは、薬を与える時の人参の一極集中は避けるようにと考え、りんごと併用することになりました。

人参ばかりが続くと体調が悪くなっていたので、りんごと交互に切り替えて、マシになったという感覚的なものですが。

うさぎとの毎日

うさぎが寝たきりになってからも、まだまだ元気だった頃も、おそらく僕は、ある時から彼と一緒にいたいがために過ごしてきたのだと思います。

勤め人をやめて独立し、京都からも離れずという感じで過ごしてきたのも、うさぎとの毎日を重視してという要素がかなり強いと思っています。

ネパールやイスラエルに冒険に行った時、その後に勤め人としてまた働き出すことが決まっていた状況で思ったことがあります。

「これからまた働きだして、その後何か大事な局面の時に、仕事とそれとが天秤にかかり、仕事を選んでしまうのだろうか?」

それは特に養子のうさぎのことだけを思って考えたことではありませんでした。

しかしながら、もし何か人生の中での大切なものと最後の時に、「嫌な客に頭を下げにいく」ということが社会活動の中で同時期に求められた時、大切なものをさておいて嫌な客に会いに行くのだろうか、嫌な上司といる時間を優先するのだろうか、というようなことを考えました。

何だかそれはそれで自己犠牲的な美徳にも見えますが、それを選ぶと、その時にもその先にも何も得られず、何も残らないような気がしました。

だから僕はうさぎと一緒にいることを選択しました。

もしうさぎをすぐに動物病院に連れて行かねばならないような時に、仕事を優先するような生き方は嫌だと思ったからです。

これは、僕にとって一つの制限になりました。

でも、それでいいのです。

うさぎの最期

うさぎが亡くなった時、僕はうさぎのそばにはいませんでした。

なぜなら、おじいちゃんが死んだときもそうでしたが、ずっとそばに居続けることは、死を待っているようで、死を望んでいるかのようで嫌だからです。

10年以上前になりますが、セキセイインコのピーコちゃんが死んだ時、それは僕がその場を離れた時でした。

「君がそばにいるとなかなか死ねないんだ」

そんなことを言われたような気がしました。

だから、あえてそばに居続けること無く、眠るときは安らかに眠ってくれ、という感じで、今日の朝動物病院に連れて行くつもりで僕は家に帰りました。

帰る前、僕は養子の背中に手を当てました。でも、もう僕の気は彼に伝わリませんでした。

「迷妄を断ち切れ。執着を断ち切れ」

彼の背中がそう教えてくれました。

深夜、家の中で「落ちた花びら」を見て、花びらから何かが伝わってきました。

「根だけでもね、そこから茎が生え、再生することはできるんだ。

茎だけでもね、そこから根が生え、再生することはできるんだ。

でも、僕達花びらはね、役目を終えたらただ流れるまま枯れるのを待つんだ」

「僕は一応まだ生きている。でも根や茎のように『可能性があればこれからも生き続ける』ということはできないんだ。花びらとしての役目を終えれば、もうその運命に抗うことはしない」

その後の午前4時、頭に激痛が走りました。

あわてて頭痛薬を飲みました。

薬が効いてきた4時半頃、養子の元に向かおうと思いました。

しかし、全身に全く力が入らなくなりました。

気を失うように僕は横になりました。

「さようなら、おとうさん」

夢現の中、そう聞こえた気がしました。

「毎日同じように世話をしても、元と同じような日々には戻らない。どこに行くにも僕を気にしていただろう。もうそんな日々ともお別れになるよ。

僕たちが出会ったときからこの時が来ることはわかっていたじゃないか。

全ては流れていくんだ。それに逆らうことはできないという現実を受け入れる勇気を持とう。

諸行無常を悟り、愛別離苦の迷妄を断ち切るんだ。

僕はもう生き続けることができない。

もし今日生き延びても、明日は生き続けることができないかもしれない。

それはいつかは来るんだ。

若返って元気になって、死ぬまで一緒にいることができても、どちらかが先に死ぬ。もしくは同時に死ぬ。だからいつかはお別れなんだ。

それはいつかは来るんだ。

生きているということは変化を感じるということ、だから生きている限り変化を避けることはできない。

悲しむことがいけないわけじゃない。だたありのままの現実を受け入れて苦しむことのないように、その悲しみがこれからの恐怖とはならないように、愛別離苦を恐れ、それが君を制限し苦しめることのないように」

養子のうさぎは、今まで僕にたくさんのことを教えてくれました。最期になっても彼は僕に語りかけました。

もしこの世で師がいたとすれば、彼以上の師はいません。

さようなら、わが息子よ。


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