いわゆる動機の戦い

そこでわれわれは、動機の戦いを、様々な行為の可能的な結果の比較と取り違える。― 最も効果があり、そして道徳の発達にとって最も宿命的な、取り違えのひとつである! 曙光 129  文末

根本的な動機を探ってみるということを試みた場合でも、頭で考えていては、全然根本的ではないことを「根本的な動機だ」と結論づけで納得してしまうことがあります。

面接などで「志望動機は何ですか?」というような質問項目がありますが、ウソはすぐにバレますし、何となくそれとない、優等生的な回答をするしかなくなってしまうことがよくあります。

まあ営業に行ったと思って、本音じゃなくてもいいからお世辞のひとつでも言えるようになっておけ、という訓練の要素もありますが、こうして変に本音を隠すことに慣れていくと、結局何もかも自分の心の中がわからなくなっていくのではないでしょうか?

何だかんだで、勤め人など大半がタダの「駒」くらいにしか思われていません。特に「訓練すれば誰でもできる」とされている様な仕事の場合はそれが顕著です。

ということで、表面上の常識の奥にある相手の都合、相手の動機について考えてみてもいいのではないでしょうか?

大企業で採用されやすい

面接等々で大企業に合わせた形で本音を隠し、動機に関する回答すら相手に合わせたものにしていくと結局「駒止まり」になってしまいます。

まあ「それくらいこなしてやるさ」という余裕のもとでやる分には構いませんが、あまり相手に合わせていくと、どんどん奴隷化していきます。

実際問題として、中途半端に合わせるのがもっとも危険で、全く合わせない人、つまり自分の動機にだけ素直な人は逆に変人扱いされながらも社会で大成したりします。

体育会系の主将など「大企業で採用されやすい」とされているようなタイプの人も、そうした採用のされやすさは決して諸手を挙げて喜ぶべきようなことではなく、単純に「使いやすい」というだけであったり、もっと言えば、「上下関係を守り謀反を起こさない、スタミナのある奴隷」として企業側に都合の良い人材というだけかもしれないのです。

ただ、大企業に使われるということに関して言えば、確かに採用されやすく、その道でいいのなら、別にそれで構いません。

しかしながら、「大企業で採用されやすい」という基準は、決して「人間として優れている」ということを示しているわけではないことを理解しておく必要があるでしょう。

基準は相手の都合であり、奥にある動機を洞察してみよう

例えば、就職活動をしている人たちは、自分がその就職活動という行動を取っている動機をどう捉えているでしょうか?

本心からの動機でしょうか?

「どうしてもエンジンが作りたくて」とか「史蹟の発掘がしたくて」という場合ならばおそらく本心でしょうが、単純に内定が欲しいというのは本心からの動機ではありません。

奴隷を欲している人たちの洗脳の結果です。

あなたの人生などお構いなし

そして企業側は大半の場合、あなたの人生などお構いなしです。

「また採用にお金をかけるのも嫌だから、なるべく辞められないように工夫しよう」

という程度です。

極端な例を言えば、「アルバイト募集 フリーター大歓迎」という張り紙をしてある居酒屋かなんかがあったとしましょう。

そういうところでバイトしたことのある人ならわかると思いますが、店長の考え事はただ一つ、「シフトが埋まればいい」ただそれだけです。

バイトの例は極端ですが、「営業マン募集」とか「事務員さん募集」などはたいていこれと同じです。

企業側がどんな都合で、人材募集をかけているか、その根本動機も探ってみてください。

その上で、自分の行動の動機を探ってみましょう。

それは特に就職活動に限ったことでなく、家庭でも何でも同じです。

bossuを説得するとしたら

例えば、社会的な常識論、一般論が一切通用しない(過去記事をたくさん読んでいただいた方ならご理解いただけると思いますが)、僕を説得するとしたら「どんなふうに動機を語るか」ということを前提として考えてみても良いかもしれません。

いわゆる動機の戦い 曙光 129

Category:曙光(ニーチェ) / 第二書

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