いくつになったら大人なのかな? 改

若い時は大人とはどういうものかを想像して、それに苛立ったり、そういうものにはなりたくないと思ったり、逆に早く大人になりたいと思ったりしたものです。

大人になれば時間がなくなるというのが一般的なイメージですが、「そんなことはない、大人になったほうが沢山時間がある、そしてたくさんお金がある」ということを言う大人が周りに多かったような気がします。

自営業や零細企業の多い土地柄ということもありますが、最初にこれを断言したのが、たまに登場する「英会話の先生」でした。この先生は、英会話を本業にしているわけではなく、様々な事業を行っている人でした。意識が「事業家」に向かったのも、この人のおかげかもしれません。

ただ、僕の小学校の卒業アルバムの最後にあった文集みたいなところの「将来の夢」という欄には、きっちり「実業家」と書いていました。夢があるような、ないような、あまり子供らしくない12歳でした。

35歳理論

35歳理論というものがあります。35歳というのは目安です。どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、おそらくないでしょう。僕が勝手に思っていて、勝手につけた理論です。勝手に思ったというよりは、いろいろな人を観察して、それによって得た印象から僕の「アイツ」がはじき出した理論なので、名称はもとより中身すらあまり気にしないでください。

上昇と下降

人は大人を目指します。

自立、責任感、「幼稚なもの」への拒絶さまざまな大人の定義がありそうですが、特にこの中の「幼稚なもの」への拒絶が主なターゲットです。

どんどんどんどん上昇します。実利的なものにしか目が行かず、幼稚なものを鼻で笑うようになります。幼稚な遊び、幼稚な発想、幼稚な物、幼稚な娯楽、幼稚な友達。。。

「ダメだ、子供になめられる」ということで、一生懸命大人になろうとします。そして「普通」になろうとし「威厳のある大人」になろうとします。

しかし、これは35から45歳をピークに下降し始めます。

そしていわゆるシニア世代に入ると、幼稚そのものになります。

少しは洗練されていますが、コレクターと言われる人が集めているものは単価が高いだけで、コレクト自体は、カードダスやビックリマンと変わりありません。

ガンプラが盆栽に変わるだけです。

フィギュアが壺に変わり、「綾波レイのセル画」が高額な絵画に変わるだけです。

さらにシニアになると施設に入れられます。

「みんなでお歌を歌いましょう」

「指の体操をしましょう。グーパーグーパー」

そこはまるで幼稚園のようです。

シニア

そして、たまに聞くのは痴呆になると、もともとの性格になるというものです。痴呆にならなくてもシニア世代になると、もともとの性格がでてくるということが囁かれます。

ということは今まで嘘をついていたということです。

嘘をつきながら大人になろうとして、それをやめていったというふうに考えることができます。

「できる大人」に見られようとして無理をしていたということです。

でももうその必要がない、ということを悟った時、もとの性格を解放するのでしょう。

もちろん、ずっとそのままの人もいます。

子供の時のままの人も、大人の時のままの人も。

過去記事⇒いくつになったら大人なのかな?

Category:さよなら私 / 始めと終わり

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