いかなる道徳が退屈させないか

道徳の時間というのは他の授業とは異なり、変な空気感が出ます。それはやはり、人生にストレートに関わることであり、ギムキョの偽善をひしひしと感じる時間であるからです。基本的に何かの教材を使って、自分たちの思想を教え込もうとしますが、やはり多感なティーンにはそれが偽善に映ってしまい、本来の目的からは逆行した結果が生じることがあります。

教師不要論

下手に教科書を使うよりも、ゲームやアニメ・漫画にしたほうが覚えやすいというある意味での「教師不要論」もあります。歴史に関してはだらだら教えられるよりは図書館の子どもコーナーにある歴史漫画を読んだほうが覚えやすいというものです。地理なら桃鉄、戦国時代なら信長の野望と相場は決まっています。

母校では、そんなことを知ってか知らずか、道徳の時間が課外授業としてありましたが、すべて映画です。道徳の時間に映画を観るという点については、どこの学校でもそんな感じかもしれませんが、母校ではさらに食付きを良くするために、最新映画などを使っていました。

企業の研修ビデオのような味気のない、テキストを読み上げるだけかのようなものではなく、きちんとしたストーリーがありますから、「ライフ・イズ・ビューティフル」などを題材に使った時には、同級生の女子とデートをしているような気分で道徳の時間を過ごしていました。

真面目にやる

仕事でも何でも、「真面目にやる」という時にでも、真面目にやるということは方法論であって、目的は結果のはずです。それが育成なのか実績なのかを問わず、目的は結果なのに「真面目にやる」ということを目的にしている人がいます。

雑談をしていては、作業能率が下がる、という時には、雑談をせずに黙々とやれば良さそうですが、疲れの溜まり方が違います。特に長時間するときには、ただ、「真面目に黙って行う」より、「楽しみながら」やったほうが結果的に能率は上がったりします。

楽しみながらやると言っても

特にまだまだ若い会社同士で、共同で事業を展開するような場合には、そのビジネスプランはほとんど飲み会で決まっています。

真面目に対面して「なにかいいアイデアありませんかね?」と、私もニューヨーカーでしたからの人のように姿勢を正しても、MBAの教科書に載っているような「知っている知識」の教え合いみたいなことは起こるかもしれませんが、実際にやりたくなるような仕事はなかなか出てきません。

どのような結果が欲しいのかによりますが、真面目にばかり時間をこなすというのは、義務教育やアルバイトでつけてしまった時給制の作業仕事の悪い癖かもしれません。

しかしながら、当のアルバイトで客を無視して店員同士でしゃべっているのは、かなり違います。真面目にだけやればいいものを真面目にもできない人が、ふざけてもふざけたままです。

真面目にできる人が真面目を外した時に発揮されるのが、ビジネス的アイデアです。仕事のことを考えもしていない人が、雑談ばかりしていても、どうせギャンブルかゲームか次の飲み会の話ですから、そもそも議論の対象にもなりません。すなわち論外です。

いかなる道徳が退屈させないか 曙光 165


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