あの人のあの行動の正体とその先

自慢話などをはわかりやすいですが、イラッとする人の大体の行動は自尊心をベースに考えればすごくわかりやすいと思います。

そう考えると今までの自分の言動なんかも恥ずかしくなったりしますが、早い時点で気づけた事の方が価値はあります。

それに過去は記憶、未来は想像の域を一切出ません。

数秒先だろうが、前だろうが、すべて頭の中での出来事です。

ミクロレベルで見れば頭の中で何かは起こっていますが、目で見える範囲では何も起こっていません。

つまり、「思い返しての恥ずかしさ」も自作自演です。

さて、自尊心です。

自尊心の意味については詳しくは触れませんが、字の通りの意味と捉えてください。

馬鹿にされて怒るのも、自尊心が傷つくからです。

自慢したがるのも、憐れみを乞うのも弱った自尊心を立て直すためです。

やたらと命令したがる人や、ステータスを声高々に叫ぶ人もそうです。

「俺のスペック需要ある?」なんて言っている人も、なんだかんだで、自尊心は低いレベルにあります。

この類の人というか、日常生活で出会う人は、おそらくほどんど満足のいくレベルにはありません。

そしてなんとか人から褒めてもらおうとするのです。

もしくは、人に罵声を浴びせたり、ねぎらいの言葉を強奪しようとします。

こんな話は、もしかしたらどこかで聞いたことがあると思います。

「奪わないで与えろ」

確かにそうなのですが、それも核心とは少し違います。

もう一段高いレベルで考えてみましょう。

「そもそも必要なのか?」、と。

自分探し

「自分を探す旅に出る」という言葉をたまに聞きます。

ただのカッコつけか、テレビの観過ぎだと思いますが、探さなくても今ここにあるじゃないですか、そんなものは。

「本当の自分は、今の自分とは違うんだ」という意味かもしれませんが、ある意味でそれは正しいと思います。でもここでいう自分とは自我のことです。自分とその他のものとを区別するための全ての要素です。

でも、それも自分の一部ですが、自分はもっと大きい存在だと思っています。

なるべく自分はなくしていく方向で考えましょう。

その理由は後ほど述べることにします。

自尊心の正体

恐怖心です。

あっけない答えかもしれませんが、本能レベルでの生存欲求です。

「カッコイイ」と言われたいのも、本能レベルです。

「すごいね」と言われたいのも恐怖心を紛らわすためなのです。

憐れみを乞うことも、人に罵声を浴びせるのも、本能レベルで死ぬのが恐ろしいからです。

かなり文化的なフィルターを通して、言動に表れるので、よく見えにくいですが、生存欲求の表現です。

恐怖を感じても、「ああ、こわいなぁ」と恐怖していることを楽しむ方向で感じてみればいいと思います。感情は即時的で純粋ですから、否定してはいけません。ただ、恐怖しようがそれはだいたい本当は不幸な事ではありません。

恐怖心の正体は、本能レベルでの生存欲求であり、最初の方にも述べましたが、脳による自作自演です。

そして自尊心自体は本来不要なのです。

安心レベルとでもいいましょうか、―はこんな感じです。

第一段階としては、自尊心を満たそうとするレベル

第二段階としては、自尊心を自分で満たせるレベル

第三段階としては、自尊心自体が要らないレベル

なぜ、自尊心が不必要になるのでしょうか。

外部に依存しない

自尊心が必要と思ってしまうのは、恐怖心を解消するのに、外部に依存し、他人任せにするからです。

そしてプログラムの初期値では、常に危険を予測して行動するように設定されています。

教育によって「恥ずかしさ」が植えつけられます。

この恥ずかしさ教育は危険の予測に加え、一方で統制のためですが、その統制も含めて恐怖心をベースにしています。

元気そうに見える人も、そういう人はだいたい群れています。

人と接すると基本的には気が紛れます。

そんなことをしている限り、永久に振り回されるだけです。

大勢でカラオケなんかに行かずに「バンプオブチキン」でも聴いて哲学してみましょう。段階としては途中までですが、かなりのよいヒントが隠れています。最近の楽曲はかなりの完成形になっていると思います。

聴くにあたってのヒント

実際、そういう意味で作られたかはわかりませんが、数曲を除いて、二人称を一人称’と捉えれば意外と面白い発見があるかもしれませんよ。

つまり「君」にあたるのが「もうひとりの自分」、そう捉えて聴いてみてください。僕は昔からそうしています。

自分なくし

どんどんなくしていってください。

「他人に従う」という意味ではありません。

自分をなくすというよりも、「人より優れている何かを探す」ことを「やめる」というほうが適切かもしれません。

世間のあれは、結局ゲームのレベル上げです。

「誰かより優れている面を探して」なのです。

そんなことしている限り、心は不安定なままです。

「認めてもらおう」として頑張ってみたものの、評価はあっけなかった、というケースがあります。

それは当然です。自分の自尊心を満たしたい人相手に、「自慢」みたいなことをしても相手の反感を買うだけなのですから。

他人など気にしてはいけない、というのはこういうことです。

スペックを上げようとする根本の動機が恐怖心なのか、ただの楽しみなのかを考えてください。

楽器を上手く演奏できるようになると楽しいです。

上手く歌えるようになると、誰に聞いてもらうでもなく歌うだけで気持ちが良かったりします。

人より優れている必要などありません。

そんな感じで安心が得られると、好きなものはより好きに、嫌いなものはより嫌いになります。さらに「どっちでもいい」というような心境になります。


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