あきらめることから始めよう 改

あきらめると捨てるは違うという人がいますが、違いがよくわかりません。

ネガティブかポジティブか、その違いのようですが、あまり言葉の定義にはこだわらずに考えてみましょう。

何かを望んでいる場合、たいてい力んでいるものです。

結果である目の前の現実をなんとか変えようと、物理的な努力をしますが、あまり効果はありません。

時に力んだだけ結果が出ることがありますが、それはいつもいつも同じように期待通りにはいかないものです。

「努力」

これを惜しまないように長い間いろいろな人から説かれ、たまにそれを評価され、また、努力を評価して欲しいと思うようになってしまいました。

努力と自己中心

自己中心的な発想は捨てるように教えられてきたことかと思います。

しかし、それを人に説く人は、「自己中心的な発想を捨てるように」という思想自体が、自己中心的であることにはあまり気づいていません。

人に与えることも本来的には素晴らしいことですが、「人に与えよう」とばかり言う人は、結局「犠牲になりなさい」ということで、自分に尽くしてほしいという表れのような気がします。

そんなことを人に説く前に、自分でやればいいことです。

「そんなことをしていては周りの人が困るだろう?」

と学校では教育してきますが、それは先生だけが困るという場合が多いと思います。

「ゴミ拾いをしましょう」

と提案する前に、教師全員で早朝から近所のゴミ拾いをすればいいことです。

本当に自然にそれが出来ていれば、言わなくても生徒は勝手にみんなやりだすものです。

たまにパフォーマンスでやる先生がいますが、そんなスケベ心は、多感なティーンにはすぐに見抜かれてしまいます。

同様に努力を強制することがよくあります。

「そういう癖をつけないと社会でやっていけない」と、会社員も経営者も投資家も経験したこともないような教員の方が説きます。

勉強やスポーツなどは、努力と根性が必要なのかもしれません。

また、スポーツの世界や教員の世界では必要なのかもしれません。

しかし、お金を稼ぐことや、毎日楽しい生活を過ごすには努力も根性も必要ありません。

「そういう癖をつけないと勉強やスポーツの世界ではやっていけない」

そう言い換えていただきたいところですね。

あきらめよう

力んで何かを手に入れるということをやめてみてはどうでしょうか。

よくあることですが、「自分以上に大切なものはない」ということがたまに説かれます。

これは自分より他人を優先してしまう人向けのメッセージです。

目の前の人を優先しているはいるが、本当にそれでいいのだろうか?

一度は自分に問いかけてみたいものです。

結局自己中心的な人と思われて「嫌な気分」になるのは自分です。

ならいっそ、最初から何も気にせずに気の向くままに生きてみてもいいのではないでしょうか。

本来的には自分も他人も同一目線で考えられることが一番いい状態かもしれません。

自分ばっかりというのもやはり変な感じがしますが、他人ばっかりというのもやはり変な感じです。

「何かを優先してしまう」

これ自体が、もしかしたらおかしなことなのかもしれません。

ということを、明らかに眺めてみましょう。

過去記事⇒あきらめることから始めよう


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