「道。」

いわゆる「近道」は、いつも人類を大きな危険に導いた。そのような近道が見つかった、という福音に接すると、人類はいつも自分の道を離れ― そして道を失う。 曙光 55

昔からよく近道を選ぶとえらい目になる、というようなことが色んな所で囁かれます。

しかしながら、それは横着をするなという戒めのようなもので、効率のよいやり方を模索することは、非常に険しくリスクも伴いつつも、人を成長させるものです。

一番の手抜き

「近道が見つかった」という福音は、いわゆる宗教の哲学的パッケージも、大企業や大組織への就職も同じことが言えるでしょう。

「これだけやっておけばよい」

という手抜きです。一番の横着、一番の手抜きです。

このパターンになると、自分の頭を使わなくなります。

いわゆる受験勉強というものは、あまり自分の頭を使わないものです。目の前の問題には必ず正解があり、問題自体を疑わないからです。

詰め込み型に近い「暗記」というものは軽視されているものの、勉学など、大半が暗記の作業です。

「ある対象とそれ以外のものとの差」が定義されており、それを覚えていくだけに近いでしょう。

そこではあまり頭というものは使われません。

単語ごとの定義

その定義自体を細かいところまで考えたりする作業のほうが険しく、頭も使うはずなのですが、そんなことをしていると、「そんな哲学的なことはやめなさい」ということになります。

目の前の問題を単語ごとの定義から考えていると、テストの回答を出すのにかなり時間がかかります。本質的にはソクラテスのような「私は知らない」という世界に入っていきます。

ちなみにこのようなことを実際に高校生の時にやったことがありますが、母校の先生は温厚な先生が多いため、テストではもちろん低い点数だったものの、別で点数をつけてくれた、ということがありました。

本当は手抜きの人たち

語弊があるかもしれませんが、職業による上下などというものはもちろんないものの、役職が下に行くほど、実際の仕事らしい仕事になります。

例えば飲食店チェーンの本社の管理職は、基本的に鍋を振っているわけでも、ご飯を炊いているわけでもありません。一番飲食店らしい仕事をしているのは、パート・アルバイトの方でしょう。

そのように、役職が上に行くほど、本質的な仕事から離れ、下に行くほどその業種そのものの作業が仕事内容になったりします。

そして、仕事らしい仕事ほど体は疲れるはずです。時間あたりの消費カロリーも高いでしょう。

それはそれでいいのですが、その体の疲れを理由に、文句を言ってはいけないということです。

根本的に、その体の疲れは手抜きをしている結果だということが多いでしょう。

残念ですが、学歴・職歴などがどうであれ、仕事などいくらでも創出することができます。

自らを値踏みして、体を酷使し雇用される側を選んでいるだけのことです。

体を休めるために

個人的には20歳位からテレビを見ることはなくなりました。

しかし、文句ばかり言っている人は、体を休めるために、テレビを見てボーっとするということをよくやっています。

その時間を実務にそった勉強でもしていれば、いくらでも可能性は広がっていきます。仮にテレビを見るにしても、その視点によって、変わってくるでしょう。

経済社会は、それまでの経歴や年齢を特に気にしないものです。ちゃんとしたサービスを提供してくれるならば、そんなものは関係ないということは当然のことです。

懸命に仕事をすることは一つの能力ですが、それは様々な手抜きを含んでいるケースがたくさんあります。

様々な手抜き

パワーで押し切ろうとして、効率のよいやり方を模索しないという手抜き、そして、頭を使わずに現状を耐え忍ぼうとする消極的な手抜きです。

頭を使うより体を使うほうが楽です。しかし体の疲れはストレートに意識にダメージがきます。しかしながら、体を蝕んでいるものは実際の体のダメージというよりも、神経のピリピリです。

迷いや不服のエネルギー

つまり、仕事で感じているストレスなど、ほとんどが、迷いや不服のエネルギーです。

考えずに無駄に悩んだり、不服に思いながらも従っている、くらいのものです。それがなくなれば、体のダメージくらいそれほど大したものではありません。

文句を言うな

ということで、「文句を言うな」ということになります。文句をいうくらいなら独立でもすればいいのです。

これは、自分自身のためです。文句をいうくらいならば、頭を使ってもっと楽になる方法を考える、ということです。それをパスして他人のせいにしてはいけません。

目の前のことを真剣にこなすことは良いのですが、それは手抜きではないか、一度疑ったほうが良いでしょう。

仕事や経済で誤魔化すな

しかし、仕事や経済のことばかりに集中することもまた手抜きです。

それは本質的な意識や心などを直視しないためのアイツの得意とする方法です。

アイツが自らに疑いをかけられないように、意識の中で勝手に創りだした「人生の本質」というものに振り回されてはいけません。

自分の意識の主軸として、自尊心の補填や、恐怖心の緩和が根本原因になっていないか、常に疑いながら過ごさねばなりません。

でないと、穴を掘って埋めるだけの虚しさしかやってきません。

「道。」 曙光 55


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