「話題」は暇な人の消費対象

昔トリビアでやっていたのですが、群れから外れた狼に狼の鳴き声で声をかけ、返ってきた鳴き声をバウリンガルで解析したら

「ボクは何をしたらいい?」

と言っていたことに感慨深さを感じています。

ご無沙汰しております。bossuです。

仕事に追われているわけではありませんが、自発的にブーストをかけています。フェイスブックのハッシュタグをいい加減やめてほしいと思っている毎日です。

最近「話題」と言う言葉に寒さを感じています。街談巷説はもちろん、一見意味のありそうなことでもよくよく見れば知ったところで意味が無いようなものばかりです。

話題とは結局「暇な人」の「暇つぶしの題材」であり、仮に話題の人になったりしたところで、単に暇人の暇つぶしの踏み台にされる程度です。「話題」は暇な人の消費対象であり、暇な人は暇だから常に話題を探しているというのが本当のところでしょう。

話題=暇な人の暇つぶしの題材

「最近話題の~」、「何かと話題の~」というフレーズを見たときに、

「暇な人の暇つぶしの題材」ということを思い浮かべるようになりました。

大してその先の生産性や発展性もないのが「話題」ではないでしょうか。人口に膾炙するものは概して奥行きがありません。

「最近話題の映画」

ということで、最近話題の映画があったとしましょう。

その映画の話は、消費者のうんちくです。

語った所で何の実りもないような暇つぶしのように思えます。

語って実りがありそうな「芸大生同士」の会話であっても、結局はその時のブーム的な扱いというだけであり一過性のものです。そして、人の作ったものを延々と語り続けているとすれば、その芸大生たちはそれほど大成するとは思えません。

話題とはとどのつまり暇な人の暇つぶしの題材というだけであって、「暇が辛い」という人たちが、刺激で現実を誤魔化すための単なる消費物というくらいの位置づけです。

消費者の一過性の暇つぶしに使われる程度

「話題になるほどの人になりたい」ということで有名人を目指したり、出世しようとがんばりますが、話題になったところで、消費者の一過性の暇つぶしに使われる程度だと肝に銘じておきましょう。

欠落した自尊心を埋めるためにと、自己顕示欲的に「有名になろう、出世しよう、話題になろう」と思って実際にそうなったところで、暇つぶしの題材を求めている消費者に「一過性の暇つぶし」として消費される程度が関の山です。

何かしらで話題を作ったとしても、一週間くらいは覚えてくれているかもしれませんが、一ヶ月後には忘れ去られているというのが実際であり。一年後には思い出せない程度になり、十年後には「思い出せないということすら頭に浮かばないレベル」になっているはずです。

普段は自尊心の充足方面から、「頑張らないでください」ということを言っていますが、今回は、「話題になった所で、暇な人の消費対象になるだけ」という外部的側面からお話をします。

暇な人の消費対象

何かをやるときに、それをやること自体に楽しみがあるのであればそれでいいのですが、仮に「話題になりたい」というような気持ちが一ミリでもあるのなら、その「話題になりたい」というものは消し去ったほうが無難です。

なぜなら、話題になったところで、暇な人の一過性の消費対象になるだけだからです。

さて、どんなことをやるにしても、基本的には頑張ってはいけません。頑張るとロクなことはありません。

うおーっと盛り上がって頑張る頑張りは、ほとんどの場合長続きしません。

大人になって初めて彼女ができた人のことを思い浮かべてください。

その興奮は50年続くでしょうか?

おそらく続きません。続いている場合は精神に疾患があると診断されるでしょう。

続くパターンと言えば、もっと安定して平常心でもなぜかやり続けてしまうパターンです。

一時的な興奮でも外発的動機でもなく、なぜか気付いたらまたやってしまっているようなことの方が長続きします。

そしてそういうものをもっている人は、暇つぶしのことはあまり考えません。

一方、ノアやボクシーに乗って休日はイオンモールに行くような人は

「何か手軽な軽い興奮はないか?」

そんなことを常々探しています。

そんな人たちのポイントは「手軽さ」です。

そして、手軽に軽い興奮を提供するもの、それがメディアなどの「消費物」です。

それほど手間もかからない上、ほとんどが低価格です。

そこで、今一度「有名になりたい」と思っていたとして、仮に有名になったとしましょう。

その結果は、そんな人たちの一過性、その時期だけの暇つぶしの題材です。

暇な人は常に手軽なもの、話のネタを探しています。なぜなら、楽しさを自作できないからであり、誰かに暇をつぶしてもらいたいと思っているからであり、消費物に依存しているからです(食料や日用品のような、一種の消耗品)。

観光地で起こったこと

以前、仕事の関係で観光地に行ったことがあります。

そこで、施設内にさらにプラスで料金を払えば入れる場所がありました。

せっかくなのでと言うことで、そこに入ったのですが、時間の区切りによる入場者数の制限がありました。

おそらく50人くらいが1グループで1区切りの時間の間入場できるというものでした。

僕もそのグループに混じりながら、中に入ったのですが、3分くらいは施設の方の解説があり、その後はしばらくの間自由に見て回れるというものでした。

ところが、3分の解説が終わった瞬間に、50人中47人くらいは、一斉にその場所を出て行きました。

残ったのは数人。せっかくの機会に仔細な部分まで見てみようと考えたのはほんの少しの人数でした。

と言うことは、50人中47人くらいは、

「○○に行ってきたよ!」という話題づくりのために入場したのではないかと思います。

何かを嗜むわけでもなく、「行ってきたよ!よかったよ!」という話を誰かにするために来たのではないかということです。

話題などその程度

おそらく人の話題など、よい話題でも悪い話題でもその程度です。

しかも「○○に行ってきたよ!」という当の本人以外は、それほどその人の行動になど関心がなく、「へえ」くらいのリアクションでしょう。

たとえば芸能人を街で見かけて、写真を撮ったとしましょう。

「それがどうした」

という一言で終わりです。

その先に何の生産性も発展性もないのですから。

話題など所詮その程度です。

だからこそ、人の意見になど翻弄されず、人の話題など気にせず、自分のしたいことだけをやり続けてください。

自分がやりたいことをしているのだから、やっているだけでよいはずです。

人の評価を求めると、振り回されます。

話題は、ざーーーとやってきては盛り上げて、飽きたらまたすーーーっと去っていくような一過性の現象です。

この構造をはっきり知らなかった業種の産業は、株価の下落などを含めて一気に衰退しています。

もし起業等を考えている人がいれば、男女の消費特性や年代別のサービス寿命をしっかり調べてみましょう。

初期投資を抑えて、広告費も少なく、長期的な安定収益を得るならば、若い女性をターゲットとした美容室よりも、おっさん相手の床屋の方がよいというようなことです。

もし話題性で儲けようとするのなら、それに徹するのもひとつでしょう。

ただ、それには虚しさがあります。

その一過性で終わってしまう虚しさを受け止めながら、それを悟り実行するのはかまいません。

ただし、個人としては、そんなものに影響されないように、話題など一過性の暇つぶしなのだと肝に銘じましょう。

「話題になった所で、暇な人の消費対象になるだけ」

もし話題になることに価値を感じそうになったときは、そんなことを思い出してみてください。

暇な人との思い出

Category:miscellaneous notes 雑記

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