「うつ」を自力で克服する

「うつ」を自力で克服するということという感じで、根本的なことについて少し書いていきます。いわば「治るときはすぐに治ります」の純粋な続編ですね。

「うつ、もしくはうつ気味の方へ」というカテゴリの中の投稿数はそれほど多くありませんが、一応毎度毎度いつもよりは力を込めて書いていたりします。なぜ今まで書かなかったのは自分でも不思議ですが、どうしてこんなテーマを取り扱うことにしたのか、という点をもう少し仔細に書いておきます。

もちろんこのブログは広告なども付けていませんし、胡散臭いメールマガジン登録(笑)も一切する気はありません。いわばそうした目的が一切ないサイトであり、単なる個人の集大成ブログでしかありません。

そういうわけで、個人のつぶやきと言えばつぶやきですが、収益性のないサイトで、かつ、個人でしかできないことだと思いつつあえてこの「うつ」テーマを取り扱っています。

その理由は簡単で、「理解者」で触れているおばあさんのような生き方をその時に選択したからです。しかしながら変な宗教のように「救ってやる」というような意図は全くありません。単に「当時の僕のような人がいれば」ということで当時の僕へのメッセージのようなものであり、当時の怒りの昇華としての意味も持っています。だから慈善事業的でありながら、しっかりと私事であったりもします。

お坊ちゃん・お嬢様の精神科医や臨床心理士には説得力がない

さらに深く言うと、先ほどの「理解者」でも触れていますが、いわば世間でいう「坊っちゃん・お嬢育ち」の人たちの感覚では、うつにさらに拍車をかけてしまうしまうことがあるからこそ、個人的に書いてみようということを思っています。

言ってしまえば、精神科医や臨床心理士という人たちは、お坊ちゃん、お嬢様であり、相手の環境のことなど全く考慮に入れていないことがよくあるからです。

劣悪な家庭環境、労働環境、貧困の中での高い医療費、平気で「仕事をやめてください」「仕事を休んでください」という神経、「あんたらみたいに恵まれてはいないんだ」そう思う人も数多くいるはずです。

「家族のサポート?無理無理」そんなことを言いたくなる人も数多くいるはずです。

単純にお坊ちゃん・お嬢様はバカなんですよ。

これは僕が経験していることですからね。だから、そうして治しもできないくせに暴利を貪っていくお坊ちゃん・お嬢様育ちの通称「先生」たちを信用していません。

もちろん彼、彼女たちも、仕事の上では真剣にやっていると思いますが、説得力がないんです。

見えていないんですよ、複合的な要因が。

結果を操作しようとしているだけで、対処でしか無いんです。

なんでそうなったのかの根本原因は無視して、結果だけ薬でなんとかしようとしているにすぎないんです。

そして根本原因を追加するような、慈悲もクソもないようなことを言ったり高額の医療費を請求するんです。

僕はうつとパニック障害を自力で治しました。そして数人の友人知人も治りました。はっきりいうと精神科医のおかげではありません。

これは僕の実体験でも何でもありませんが、例え話として、仮に親と喧嘩をして、一人暮らしをしつつ、バイトやなんかでやりくりしながら、月十万円も所得がない人から月に2万円とか取るんですよ。で、「仕事を休め」と。死刑宣告ですよね。かと言って実家に帰れば、ギャンブル、アルコール狂いのDV両親が待っていたりするんです。

そういう面はどうすんの?

説明しろよ。

うつをチャンスだと思え

と、当時の僕、そして世のうつ病患者さん達(一部)の声を代弁してみました。

一応「うつ」を自力で克服するということというタイトルにはしていますが、克服という感じではなく、いっそうつをチャンスとし、一気に賢者の仲間入りを果たすのはいかがでしょうか?

うつを克服してもただの人です。しかし一瞬で治りつつ聖者の一年生の「賢者」にすらなれてしまうとしたら、少し魅力的には映らないでしょうか?(といっても変な宗教じゃないですよ)

「うつを一瞬で治す方法」があったらなぁと思っている人たちにとって、それは、ひとまず鬱になる前の状態に戻れたらなぁ、という程度だと思います。

しかしながら、それは方法ではなく気付きです。そして気付いてしまうということは、完全にではありませんが、アイツこと自我の錯覚が無くなるため、鬱になり得ないのです。

正確に言うと意識的な気付きというよりも体感です。言語で説明される理論的な気付きではなく、体感であり体験です。

それについてはまた別の機会に哲学カテゴリででも書きましょう。

ということで、まずは、うつを一瞬で治すということについてというよりもその予備段階として、誰にでもすぐ可能な個人合宿的なことについて書いていきます。

まず頭と体がバグっていることを認めろ

まず最初に頭と体がバグっていることを認めましょう。ひとまずは予備段階です。

「とにかく今の自分は変なのだ」

それくらいの認識で大丈夫です。

そして、おそらくうつによって休養中の人などなどに関しては、昼夜が逆転していたりしているはずです。

まずはそれを正しましょう。

もうさんざん寝た、という人でも、寝ても寝ても体がだるいという感じになっているはずです。

ひとまずは、何かの強制力をもって朝に起きて夜に眠るようにしてみましょう。

予定を入れてしまえばいいのです。できれば遅れることのできない予定という感じです。

もし協力者がいそうなら、朝の7時に電話する、ということにしてみましょう。で、朝の7時に寝ているようだったら電話をしてもらうという感じです。それを予定がなくてもしてもらうという感じでも十分です。

もし仕事が夜だからということであれば、別にそのままで構いません。

「とにかく今の自分は頭と体がバグっているのだ」

そう思っておきましょう。

そんな感じで個人合宿だと思って、頭と体を矯正していきましょう。

腸と背骨を本体だと思え

うつと言えば精神、精神と言えば脳だということで、何でもかんでも精神的なアプローチをしてしまいがちですが、とにもかくにもしばらくの間は自分の本体は腸と背骨だと思っておきましょう。

生き物の元型はミミズのような腸であり、脳の元型は脊椎です。

というくらいにだけ思っておいて、内臓と背骨を整えていきましょう。

これについては、「体を軽くして1ミリずつ楽になろう」をご参照ください。

あとは呼吸を大事にして、クンバハカ的なア○ル体操もしてみましょう。「生命の活力の源は下腹なのだ」という感じで、肛門を締めて緩めてという感じで、いわゆる括約筋・PC筋を動かしてみましょう。

起きている間はなるべく日を浴びつつ、適度に運動です。

最初は面倒ですが、体が起きてくれば徐々に慣れてきます。

なぜ面倒だと思うのか?

それは「頭と体がバグっているから」です。

バグっているのだと認めつつ、ちょっとずつ矯正していきましょう。

アファメーションで逆にバグらせろ

起きている間はなるべく日を浴びつつ適度に運動なんてなことを言いましたが、歩く程度で十分です。

そしてすでに頭がバグっているのだから、逆にアファメーションで頭のバグを上書きしてしまいましょう。

アファメーションとは単純に「宣言」のようなものですが、比較的短文のものや単語を連呼するというものです。叫ばなくてもいいですし、Twitter並につぶやくという感じでフラットに淡々とつぶやいてください。

イメージとしては、某カルトの「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」というようなやつですが、カルトの洗脳に使用されるほど強力です。

特に体が疲れてきたときにはさらに強力になります。

で、つぶやく内容ですが、気分が良くなるものであれば何でもかまいません。

自己洗脳を行うつもりで、自分がどうありたいかをつぶやいてもいいですし、気分が良くなるのであれば、「イエス!高須クリニック!」や「とーれとーれピーチピーチかに料理」とつぶやいてもかまいません。

いやそういうのはやめておきましょう。

ジョギングしながら、はたまた筋トレでもしながら、もしくはボーッとしながら、「やる気!元気!いわき!」でもいいですし…

いや特定の他人や法人に関するものはやめておきましょう。

なるべく心地よい体感を伴った短文や単語ならなんでも構いません。

基本的には効きますので、変なものだけはやめておきましょう。

数息観で爆睡しよう

さて、何かと問題になりそうな就寝時ですが、僕は家族が「眠れない」という時でも、手を当てるだけ(究極的には手を当てなくても)で数分で爆睡させることができます。人間どころか動物でも爆睡させることができます。

一応その時、僕の意識状態は日常とは異なったものになっています。その状態で同じ空間にいれば相手は勝手にまどろんでいったりしますが、手を当てたりするとすぐに僕と同調するのか、一気に寝ます。

しかしながら、毎度毎度あなたの所に手を当てに行くわけにもいかないので、僕の意識状態にまあまあ近い状態を作ってもらうための方法として数息観をおすすめしておきます。

この数息観ですが、何だか難しそうに思えつつ、ひとまずはそれほど厳密に考える必要はありません。

単純に寝ながら手をお腹にでも当てて、呼吸に合わせて数を数えていくというものです。

昇順でも降順でもどちらでもいいですが、ひとまずは100からのカウントダウンで始めてみましょう。

欧米の催眠研究などでも話題になったりしますが、数字をカウントダウンすると意識が落ち着いていきます。

まあひとまずそういうのは置いておいて、単純に数字を100からカウントダウンしてみてください。で、息を吸う時に数字の読みの頭、吐く時に数字の読みの尻を頭の中で唱える感じ(1なら「いー」「ち」です)でやってみましょう。

で、本来の数息観には色々なルールがありますが、ひとまず数のカウントを間違えた時だけ「振り出しに戻る」という感じで気楽にやっていきましょう。

上級者コースにチャレンジしたい人は、カウント時に雑念が入ったら「振り出しに戻る」という本来のルールを遵守してみてください。いわば数のカウント以外の想念が浮かんだら「振り出し」です。かなり厳しいですよ。

で、ひとまず100からのカウントダウンが完了して、まだ眠れそうになかったら再び100からスタートです。

ということでいわゆる「ひつじが一匹、ひつじが二匹」というやつとほとんど同じですね。

ただ、面白いのが、こんなに単調なのに単調ゆえに数字を間違えそうになったり、数字を間違えそうになるゆえにリズムが狂ったり、合間合間で想像もしていなかった雑念が浮かんできます。

その雑念を観察するのも面白いですよ。

さて、個人合宿の基本カリキュラムはそんな感じでオッケーです。

根本的な「うつ」を自力で克服するというところを書いて結びとします。

「うつ」を自力で克服する

「うつ」を自力で克服するといっても、最終的には克服とは別物になります。単純に体が弱っていて、気分も落ち込んでいるという場合の「ある程度元気になる」というのは本質的な克服とは少し違うと思っています。

うつが再燃する可能性を孕んでおり、根本解決にはなっていないからです。

原因があって結果が出た、その結果を修正しようとする試み自体は結構ですが、原因自体に何の働きかけもしないのは変です。

だいたいは繊細で頭の良い人がうつになります。

なぜなら社会的な矛盾に気付きつつも、それを受け入れられない、わかってはいるものの対処法がわからないという葛藤などから、意識的なダメージを殉教のように受け入れている構造があるからです。

「仕事をするからにはしっかりやりたい、でも自分が扱っている商品より他社製品のほうがいいことを知ってしまった。給料をもらっているからには、仕事はしっかりするべきであり、上司が数字を叫ぶのもわかる、でも、全身全霊を持って人にその商品をすすめることができない」

社会ではそんなこともよくあります。

いくら仕事を頑張ってみても、同族企業で、何の働きもしないバカ息子、名目だけのバカ娘が自分の何倍もの役員報酬を貰っている、そんなこともよくあります。

予備校に行かないと、良い先生に出会えないと、良い大学にもいけない、家庭環境はそれぞれバラバラで平等ではない、それなのに学歴で計られてしまう、そんなこともよくあります。

A. 鼻で笑ってやれ

人が決めた基準の中で生きるのはやめましょう。

もしかしたら少しは辛抱がいるかもしれません。

しかしながら、自分の幸せは自分で決めましょう。

「自分を傷つけるものは全員抹殺する」

それくらいのマインドで十分です。

そしておそらく、喉元に日本刀を当てられれば、どのようなことでもできるはずです。

会社に休みの申請をすることも、嫌な上司を殴ることも、いじめっ子を半殺しにすることもできるはずです。

日本刀を突きつけられてもできないことは、本当にできないことです。

この世界はどのような構造になっているか

しかしその前に、この世界はどのような構造になっているか、ということに思いを馳せましょう。

おそらく、ほとんどの人が、客観的な世界があって、その中で繰り広げられている社会は不平等で、環境は不平等な割に個人の責任というものがあり、そんな中で優劣が判断されて、ある一定基準の中でのし上がらないと幸せにはなれないと思っているはずです。

しかしながら、あなたが目を閉じれば、そんな客観世界はありません。あなたが認識しているものだけが世界のすべてなのです。

今、マダガスカルのアンタナナリボでどんなことが起こっているか知っていますか?

僕も知りません。

だから関係がないのです。

そして、今マダガスカルのアンタナナリボという言葉を見たからこそ、人によっては検索したりするかもしれませんが、この言葉を見るということがなければ、あなたの世界の中でその場所での出来事との接点は無かったはずです。

焦点を当てたからこそ、あなたの世界に入ってきたのです。それまでは、その都市が客観的に存在していようがいまいが、存在していないのと同じ状態だったはずです。

まあこの辺の所はまた哲学テーマでもご参照ください。

最後に「うつ」を自力で克服するということの根本となる「自灯明、法灯明」について書いて今回は終わりにします。

自灯明、法灯明 自分自身を拠り所とせよ

「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとし、他のものをよりどころとせずにあれ」

これは大般涅槃経にある、悟りし者「ブッダ」であるシッダルタ最後の言葉として有名な一句です。

ちなみに「法」は「法律」などとは全く異なり、まあ単純に「真理」というものですが、それは胡散臭い占い師やカルト宗教にありがちな「あなた達の知らない真実」というようなものではなく、目を開ければなにかが見えるというような誰にでも実感可能な事柄だと思っておいてください。

自灯明、法灯明は、ブッダを神格化し、何かあればブッダが救ってくれるというような「依存」を戒めた一句です。

「お経に書いてあるから正しい」ということ、そうしたものに依存することすら否定した一句です。だから「ブッダが言ったから正しい」とすらするなというおもしろ一句です。

「誰かが助けてくれる」

「誰かが救ってくれる」

「誰かが導いてくれる」

そう思えば思うほど、煩悩は増していきます。

そうした依存がある限り、本当の意味でのうつの克服はありません。

だからうつは自分で治すものです。よちよち歩きでも構いません。

人に責任を押し付けるわけでもなく、現状に憐れみを乞うわけでもなく、誰かにすがるわけでもなく、誰の言葉もそのまま鵜呑みにせず、自分を拠り所としてください。

この世界はあなたのものです。

それを自分を拠り所として自覚できた時、「うつ」どころか自我を超越し、「人」を超越することになるでしょう。

そして、この世界から「あなた」は消えます。

その時、「うつ」はおろか、煩悩が消滅してしまうことになるでしょう。


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